「ヒロシです」という哀愁漂う自虐ネタで、2000年代中頃〜後半にかけ一世を風靡したお笑いタレント・ヒロシ。一時は数多くのテレビ番組に出演するほか、DVDやCDが発売されるなどブレイクしたが、間もなく人気も終息。そのヒロシが、長い沈黙の時を経て、この11月に8年ぶりとなる単独ライブ「泥水」を開催するという。
今回はそんなヒロシに、
「ブレイクのきっかけとは? そしてブレイク中はどのような状況なのか?」
「ブーム終息がもたらす、周囲や自身の心境の変化とはどのようなものなのか?」
「ブームが終わり“一発屋”と呼ばれ続ける苦悩」
「有吉弘行は、なぜ再ブレイクしたのか?」
「自身はもう再ブレイクしたくないワケ」
「8年ぶり単独ライブの狙いとは?」
などについて、お笑い芸人へのインタビューを元に書かれた著書『這い上がるヒント〜諦めなかったお笑い芸人30組の生き様〜』(東邦出版)の著者・大川内麻里が聞いた。
–ヒロシさんのブレイクのきっかけは、やはり『笑いの金メダル』(テレビ朝日系/2004〜07年放送)への出演が大きかったのでしょうか?
ヒロシ そうですね。僕は、人の話に割って入るというのが苦手なんですよ。親戚の集まりなんかでもそうなので、バラエティ番組のひな壇で“ガヤ”を飛ばす(絶えず大声でしゃべって番組を盛り上げる行為)というようなことは向いていません。
『笑いの金メダル』では、最初は自分のネタ披露と、2組くらいの芸人によるおしゃべりコーナーのような構成だったので、それがよかったんでしょうね。
やがて04年から「投稿あなたもヒロシ」というコーナーを頂きました。視聴者の方から頂いた変な看板やお店、食べ物などを、僕のネタのスタイルで紹介するコーナーでした。ひとりでできるコーナーでしたね。
でも、ひな壇の前に出されてネタをやるかたちだったので、震えまくってました。僕、芸人さんの前でネタをやるのが苦手なんですよ。お客さんの前でやるのとはぜんぜん違う。
–お客さんの前と芸人さんの前では、どう違うのですか?
ヒロシ おもしろい芸人さんたちの前でネタをやる、つまり「自分はおもしろい」と発表するというのはプレッシャーですよ。どういうふうに思われてるんだろうってね。だから売れない頃に事務所でやっていた“ネタ見せ”も嫌でした。見せる相手は、自分と同じように売れてない連中なんですが。
性格的に僕は「俺っておもしろいだろう!」というタイプではないんですが、「この場にいるってことは、おもしろいと思っているから来ているんでしょ?」ってことになるんで。ましてやテレビの世界では、本当におもしろい芸人さんたちばかりなので、その前でネタをやる、つまりおもしろいと思うことを提案するというのは、かなりのプレッシャーです。
なので、(コントのコンテスト番組である)『キングオブコント』(TBS系)の決勝なんて、準決勝まで残った芸人さんたちが審査員をするという仕組みで、過酷だなと思いますよ。「そんなにイヤなら、芸人になんかならなければいいじゃん」って思われるかもしれないけれど、それでもなりたかったんですよね。
–ブレイクのきっかけになった「ヒロシです」の自虐ネタは、ヒロシさんの性格にマッチしていたんでしょうか? ご自身のパーソナリティーにハマったから、あのネタが売れたのでは?
ヒロシ そうですね、こういう性格なんで。小中学生の頃も、いじめられたりしていましたし。
でも1995年からベイビーズという漫才コンビを組んでいたのですが、5年間活動した後に解散してピンになった当初は、女性の悪口みたいな攻撃的なことを言っていたんですよ。お笑いコンビ・マシンガンズみたいなね。
出発点はそこだったんですが、だんだん自虐ネタと呼ばれるものが増えていった。自分では自虐ネタのつもりはなかったのですが、悪口より好感もあるからかウケる。それでおのずと増えていきましたね。それが人の目についた時に、自虐ネタと呼ばれるようになったわけです。
●「一発屋」と呼ばれて
–今回は8年ぶりの単独ライブになりますね。
ヒロシ そうですね。でも僕は8年前の自分を越えられることはないと思っています。だって「ヒロシです」のネタで、あれだけのヒットを出してしまった。それは、なかなか越えられるものではないですよ。僕も含め、「一発屋」と呼ばれる芸人さんたちは、みんなそうなんじゃないですか? ブレイク当時の自分を越えられるなら、一発屋にはならないわけですから。
–8年間単独ライブをしなかった理由はなんでしょうか?