スマートフォン(スマホ)やフィーチャーフォン(ガラケー)を用い、外出先でインターネットに接続し、メッセージを送ったり調べものをしたりするのは、もはや当たり前のこと。だが、モバイル端末が一部の富裕層しか所持できていなかった時代はもちろん、一般層へ普及が始まってしばらくしてからも、携帯電話でインターネットに接続するなんてことはできなかった。
国内でその常識を覆したのが、NTTドコモが1999年にスタートさせたサービス、「iモード」だ。これによって携帯電話からeメールが送れるようになり、ウェブサイトの閲覧やオリジナルコンテンツが利用可能になるなど、モバイルシーンに革命がもたらされたのである。
そんなiモードの新規受付を、今年9月30日をもって終了するとドコモが4月に発表。スマホ生活に慣れきってしまった人々からすれば、「iモードってまだあったの?」という感覚だろうが、iモードの契約者数は2018年度時点でいまだ900万人を超えており、サービス自体は3Gサービスが終了する20年代半ばまで続くとみられている。
とはいえ、携帯業界の大功労サービスがひとつの節目を迎えたということで、ケータイジャーナリストの石野純也氏の解説のもと、iモードとはなんだったのかを今一度振り返っていきたい。
契約者数は全盛期で4800万人オーバー
「iモードのサービスが誕生した1999年は、Windows95が発売されてから4年ということで、インターネットそのものがまだ一般的に普及していない時代。一部のユーザーはアナログの電話回線につなげることでネット環境を確保しており、“インターネットは家で使うもの”という認識でした。それを外でも使えるようにしたのがiモードでしたから、当然そのインパクトは非常に大きいもの。個人的にはスマホの登場よりも衝撃でした」(石野氏)
だが、未知のサービスだけにライト層の懐疑心が働いたのか、サービス開始と同時に一気にユーザーを増やしたわけではないという。
「それまでは少ない文字数で携帯電話同士でしか文字のやりとりができなかったショートメッセージ、今でいうところのSMSしかなかったのが、iモードによってメールアドレスが付与されました。これにより、入力できる文字数が大幅に増えてPCともメールの送受信ができるようになったため、どちらかといえば最初はこちらの使われ方がメインでした。
ですが、徐々に契約者数が増えるなかで、仕様が公開されていたこと、そしてその仕様がPC版のウェブサイトを作成するのに似ていて簡単だったことから、さまざまな企業がiモードにコンテンツを参入させ、サービスがどんどん充実していったのです。それがiモード自体の利用者増加に拍車をかけていきました」(同)
そのコンテンツは電車の乗換案内や天気予報などが代表として挙げられるが、石野氏は「着メロがダウンロードできるようになったことが大きい」と話す。確かに、かつては端末にもともと内蔵されている音楽か、自分で音階を入力してつくった音楽しか使用できなかった。それが一瞬ではやりの音楽をダウンロードできるとあれば、若年層への訴求力は抜群だったはずだ。
そしてライバルキャリアのauはEZweb、ソフトバンクの前身といえるJ-PHONEはJ-スカイというサービスも後追いでスタート。携帯電話のネット接続、コンテンツ提供サービスが一般的になり、スマホの台頭を許す2010年度までの3年間は、iモードの契約者数は4800万人オーバーになっていたという。
Googleもアップルもiモードを参考にした
日本で大成功したiモードの次なる野望は海外進出。02年ごろのことだ。しかし、フランスでこそユーザー数は100万人を超えたが、諸国でサービスが定着することはなく、端的にいうと失敗に終わった。何が原因だったのだろうか。
「決してサービスの質が悪かったとは思いません。失敗の要因としては、日本と海外ではビジネスモデルがまったく違ったこと。日本はドコモなどのキャリアから端末の仕様をメーカーに提示して、製品化されたものをキャリアから発売するのですが、海外は違ったのです。
特にヨーロッパは、端末は端末メーカーが、通信は通信キャリアがそれぞれ製品やサービスを提供しており、むしろメーカーがキャリアよりも力が強く、キャリアが何かをしようとしてもメーカーが採用しないという土壌がありました。つまり、ドコモが海外のキャリアと提携できても、それに乗ってくれる現地メーカーがあまりなかったということが敗因だったんでしょう」(同)
それでも、iモードが世界のモバイルシーンにまったく影響を与えなかったかといえば、そんなことはない。
「日本限定とはいえ、iモードの大成功は当時の業界では世界的に知られているところで、開発の中心人物であった夏野剛氏(当時ドコモ在籍、現在はドワンゴ代表取締役社長)は、その頃に海外のモバイル系イベントに参加する際は、『Father of mobile internet services』という肩書で紹介されていたほど。グーグル元CEOのエリック・シュミットも『iモードは素晴らしいサービス。世界展開できるiモードをつくりたい』と語り、OSのアンドロイド、そしてGoogle Playを誕生させたという背景もあります。アップルも同様に、iモードのコンテンツを参考にApp Storeを開発していますし、世界のモバイルシーンで重要な役割を担ったことは確かでしょう」(同)
数多くのIT企業が成長する機会を与えた
一方で国内に関していえば、iモードが普及しすぎたせいで、スマホの普及が遅れ、皮肉にも日本のモバイルシーンでガラパゴス化が起きたとの意見も目にするが、これに関してはどうか。
「個人的にはそこはあまり関係ないと思っています。確かに日本でのスマホの普及は若干遅れましたが、現在はすでに7割の携帯ユーザーはスマホに切り替わっているし、前述した通り、現状世界的にスタンダードとなっているサービスのベースが日本では普及しきっていたわけですから、その置き換えに時間を要するのは自然のことでしょう
(同)
ではiモードの功罪の“罪”の要素とは?
「しいて挙げるとするならば、キャリアが決めた仕様に沿ってメーカーが端末を開発するという習慣ができあがったため、3大キャリアに認めてもらえないとメーカーは市場に参入できなかったことでしょうか。今に至ってはSIMフリー端末も市場にあるので好きなようにメーカーも端末を出せており、長期的な影響は少ないといえますが、iモードの海外展開が失敗したことで、サービスに乗っかっていた日本の端末メーカーも同じように海外展開の機会を失ってしまったともいえるでしょう。NECやパナソニックなどが端末メーカーとして生き残れなかったのも、そのあたりが要因のひとつだったかもしれません。また、端末スペックの進化に合わせ、ブラウザなどの機能をPCなどの標準に合わせていく必要もありましたが、それが遅かったのも独自規格ならではの欠点といえます」(同)
しかし、iモードにより事業が失敗した企業もあれば、iモードによって大きく成長した企業もある。
「iモードでコンテンツを提供していたディー・エヌ・エーやドワンゴはこの成功により、今や誰もが知る大企業になっていますし、同じくグリーやコロプラも現在はスマホ向けゲームメーカーとして健闘しています。今も生き残れているかどうかはスマホにしっかりとシフトできたかどうかにもよりますが、数多くのIT企業がiモードを機に成長できたというのは、ビジネスシーン全体を見ても大きかったのではないでしょうか」(同)
時代によって忘れられかけていたコンテンツだが、改めて振り返ってみると当時では気づかなかった功績が見えてくる。まだサービスは続くとはいえ、「iモードよ、お疲れ様」と声を掛けたくなる気持ちは、iモード全盛の当時を過ごした人なら誰でもわかるのではないだろうか。
(取材・文=武松佑季、A4studio)