当時はセクハラ、パワハラ問題が相次いでニュースに扱われていた時期でもあり、ファンを超えて一般の視聴者から大バッシングを受けることとなった。ただ、それだけなら一部の過激な音楽グループの行き過ぎた行動で大事にならなかったかもしれない。
しかし偽のセクハラ情報はSNSであっという間に拡散され、性暴力の被害者や評論家へも広まった。嘘とばらしてから炎上、レペゼン地球は新作のミュージックビデオを削除し、本人どころかプロモーションを称賛した一般人までSNSで謝罪文を発表することとなった。
筆者は過去に性暴力からの生還者を支援していたこともあり、セクハラを「ネタ」にするレペゼン地球の手法を軽蔑する。一方で、何も考えずレペゼン地球を褒めただけの少女までバッシングを受け、謝罪文を掲載させてしまったのは大げさすぎるように思われた。
レペゼン地球のメンバーらはおふざけ同然の謝罪を掲載し、何事もなかったかのように活動を続けている。SNS上でのバッシングはときに無関係な人も犠牲にする。そして、炎上の原因となる図太い人間は生き残る。一般人の女の子をつるし上げるバッシングは、見ているだけで疲れるものだった。
ソーシャルデトックスという極端な選択
このような殺伐とするネットへの疲労感から生まれたのが、「ソーシャルデトックス」という言葉だ。ソーシャルデトックスとは、SNSアプリを携帯電話から削除し、短期間でも“現実”を生きようとする試みである。しかしSNSは災害情報など重要なニュースを最速で得る手段であったり、新聞では誌面の都合で書ききれない国際ニュースをくまなく知れるツールだったりもする。
SNSは怖いといって拒絶したり、いきなり削除したり……。イチかゼロかを選ばせる、極端な手法をとるのは簡単だ。だが今や、ネットなしに50代以下の生活は成り立たないだろう。たとえニュースに怒りを覚えても、「しょせんは他人事」と冷静になる。すべてのニュースに噛みついていては疲弊してしまうので、投稿する内容は取捨選択する。このように、一度、上手にSNSから距離を置いて「世間はいろいろ大変ねえ。さあ、今日のご飯は何にしようかな」と思えるための訓練が、今必要とされているのではないだろうか。
(文=トイアンナ/ライター)