iPhoneのデザインは、ソニーのケータイをマネしていた?
日本のメディアは、この事実をどのように「消化」したであろうか?
「日本メーカーはその当時はモデルにされるほどに優れていたが、今ではすっかりその勢いを失ってしまった」
あるいは逆に、
「日本メーカーも捨てたものではない」
という解説を行った。
それは、アップルもソニーもまた、「ソト」と「ウチ」という思考の国境線などない、国際企業であることを忘れたかのようであった。
ジョブズが抱いた、日本に対する憧れ
ピューリツァー賞受賞者であり、ジャーナリストとして名高いウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』(講談社/訳:井口耕二)は、日本でもベストセラーになった。
ジョブズが死を覚悟して、アイザックソンを筆者に選んで、幾度となくインタビューに応じ、しかも「自分の悪いところも書いてもらいたい」といっさい原稿に口をはさまなかったという。
「ソト」をもって「ウチ」を批判する、日本のメディアの宿痾(しゅくあ・治らない病)を考えるうえで、よい教科書である。
本書が綴る、ジョブズの東洋ことに日本に対する憧れと傾倒ぶりは、その宿命とともに胸を打つ。
ジョブズは、青年のときにインドに憧れて放浪し、舞い戻ったカリフォルニアで日本の禅僧に出会い、禅に取り組んだ。京都はジョブズの愛した町である。死を悟ったジョブズが、家族と最後の旅行先として選んだ町でもある(彼の体調が悪化して、家族はその実現が一時は困難であると考えていた)。
シンプルなデザインの源とは?
ジョブズが起業したばかりのころ、近所にあったソニーショップに行っては、新製品のカタログを繰り返し見たエピソードも書かれている。
アップル復活の大きなきっかけとなったiPodの記録媒体として、最小のものを捜し求めていたジョブズに朗報をもたらしたのは、日本メーカーであった。そのときの興奮ぶりもまた、筆者のアイザックソンはていねいに描いている。
アップルの製品を貫く、ジョブズのムダをぎりぎりまで省いたシンプルなデザインは、日本文明の簡素をもって尊しとする精神に富んでいるのではないか?
実際にジョブズは豪邸に住まず、室内も簡素なものである。どんな家具を入れるかに迷い続けて、ほとんどがらんどうの部屋で撮影された自画像を、ジョブズは愛した。
菜食主義を貫き、それががんの手術後の回復を妨げたのみならず、自然治癒を優先したために、最後の手術の時期が遅れることになったのではないか、とアイザックソンは記している。ひょっとすると、ジョブズはいまも生きていた可能性があるとも読める。