ビジネスジャーナル > 社会ニュース > 徳井義実批判、庶民への課税強化招く  > 2ページ目
NEW
木村貴「経済で読み解く日本史」

徳井義実への批判は庶民への課税強化を招く…そもそもこれほど重い税額は適正なのか?

文=木村貴/経済ジャーナリスト

 たとえば、902年(延喜2年)に作成された「阿波国(あわのくに)戸籍」を見ると、男性よりも女性の数が圧倒的に多く、高齢者、とくに100歳以上の老人も少なくない。現在より衛生状態や医療が劣っているにもかかわらず、100歳以上が多いとは不自然だ。当時、女性は男性より税額が少なく兵役もない。また、60歳以上の者には税が課されなかった。税逃れのために、戸籍を偽造したのだ。

「荘園」と呼ばれる大規模な私有地も、免税を原動力として発達する。荘園の始まりは8世紀にさかのぼるが、租税の免除(不輸)を認められなかったこともあり、経営が不安定で、9世紀には衰退した。しかし荘園領主の権威を背景として、やがて政府から不輸の権を承認してもらう荘園が登場し、次第に増加する。荘園によって免税の恩恵を受けた代表は、庶民から税を取る立場の皇族や貴族である。

 天皇の命によって諸国に設置された皇室領を勅旨田(ちょくしでん)といい、奈良時代から存在したが、9世紀以降に多く現れ、荘園化した。勅旨田は免税扱いとされ、経営には天皇の近臣があたったらしく、近臣が行政官である国司に任命される場合すらあった。この収入は天皇個人や皇室の運営費用にあてられたようだ。

 天皇と親しい少数の皇族・貴族も、その立場を背景に多くの土地を私的に集積した。彼らは院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)と呼ばれ、国家財政と衝突することも起こった。寺院も荘園を蓄積していった。

 中央政府から派遣された国司、院宮王臣家、寺院などは互いに牽制し合いながら、保護を求める地方の有力農民を勢力下に取り込んでいった。今でいえば、富裕層が税の軽い国を求めて財産や住まいを移すようなものだ。

税逃れ横行の背景

 平安時代のこうした税逃れ、特に庶民による税逃れは、必ずしも悪として断罪できない。それだけ厳しい税の取り立てに責められていたからだ。

 国司のうち最上席の長は受領(ずりょう)と呼ばれた。受領は中央政府にとっての徴税請負人で、課税率をある程度自由に決めることもできたため、私腹を肥やし巨利をあげる強欲な者が多かったといわれる。

今昔物語集』の説話で、「受領は倒るる所に土をつかめ」と言った信濃守藤原陳忠(のぶただ)の話は有名だ。誤って馬ごと崖から落ち、縄で引き上げられたときに、生えていたキノコを手にたくさん抱えて上ってきて、放った言葉である。

木村 貴/経済ジャーナリスト

木村 貴/経済ジャーナリスト

経済ジャーナリスト。1964年熊本生まれ、一橋大学法学部卒業。大手新聞社で証券・金融・国際経済の記者として活躍。欧州で支局長を経験。勤務のかたわら、欧米の自由主義的な経済学を学ぶ。現在は記者職を離れ、経済を中心テーマに個人で著作活動を行う。

Twitter:@libertypressjp

徳井義実への批判は庶民への課税強化を招く…そもそもこれほど重い税額は適正なのか?のページです。ビジネスジャーナルは、社会、, , , の最新ニュースをビジネスパーソン向けにいち早くお届けします。ビジネスの本音に迫るならビジネスジャーナルへ!