安倍晋三首相による唐突な公立小中高校などへの休校要請で、日本中がパニックに陥ってしまったかのようだ。休校要請直後から、巣ごもり生活に備え、スーパーやドラッグストアには食料品や生活必需品を求める人たちが殺到。たちまちさまざまな商品が売り場から消えた。供給不足でなくなっていたマスクや、デマが原因で買い占めが起きたトイレットペーパーに加え、米、カップ麺、冷凍食品まで品薄になった。
全国規模の消費パニック状態は、1973(昭和48)年の第1次オイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒動を彷彿させる。新型コロナウイルス感染拡大と石油危機では、原因はまったく異なるが、国民、消費者を不安にさせている状況は似ている。当時の政府の対応、社会の状況が何か参考になるかもしれない。時計の針を半世紀前に戻してみよう。
1973年。街には「学生街の喫茶店」や「神田川」が流れていた。巨人がV9を達成した年でもある。政権を担当していたのは「日本列島改造論」を引っさげて前年に首相に就任した田中角栄。世の中は大幅な金融緩和や列島改造ブームによる地価急騰で物価がどんどん上がっていた。そんな日本経済を直撃したのが、第4次中東戦争勃発直後の第1次オイルショックだった。
米国との同盟関係から、日本は親イスラエル国家とみなされる可能性が高かったため、田中首相は副総理の三木武夫を特使として中東に派遣する資源外交を展開し、なんとか禁輸対象国からはずされた。メディアは連日、石油資源不足の危機を報道。こうした報道に口コミによるデマが加わり、同年11月になるとスーパーに消費者が押し掛けてトイレットペーパーや洗剤を買いだめする大騒動となった。だが、この時も、実際には品不足ではなかった。不安心理がパニックを招いたのだった。
オイルショックで高度成長が終焉、「省エネ」から技術革新へ
現在と同じような消費者心理が働いたわけだが、注目は田中内閣が実行した対策の数々だ。対中東外交を展開する一方で、事態の深刻化に対応するため、それまでの物価安定政策に加え12月には、国民生活安定緊急措置法・石油需給適正化法を制定した。前者は重要生活物資の安定供給と価格の法的規制、後者は大幅な石油供給不足時の需給適正化を図るのが目的だった。田中は12月1日の所信表明演説でこう訴えた。
「国民経済の混乱を未然に防止し、必要物資の安定的供給を確保するためには、最小限の法的措置が必要であります。このため、物資の需給、価格の調整等に関する緊急措置を規定した国民生活安定緊急措置法案を今国会に提出いたします」
「政府は、全力をあげて国民経済の混乱を未然に防ぎ、国民生活の安定を確保するため、内政、外交のあらゆる面にわたり、冷静な判断と敏速果断な行動をもって対応し、この転換期を乗り切る決意であります」
第4次中東戦争は約3週間で停戦となり、原油の輸入量は回復したが、価格の高騰は続いた。そのため政府は「省エネ」を国民に呼びかけた。その内容は実に多岐に及ぶ。デパートのエスカレーターの運転停止、ガソリンスタンドの日曜日休業、プロ野球のナイターの試合開始時間の繰り上げ、テレビ深夜放送の休止などである。こうして国を挙げての「省エネ」政策は、エネルギー抑制と省エネ関連の技術革新をもたらし、石油危機を乗り切った。
しかし、政権への打撃は強烈だった。狂乱物価といわれるほど物価上昇がすさまじく、消費者物価指数は1973年は11.7%上がり、1974年は23.2%もの急騰となった。田中はインフレ抑制のため、第2次内閣の改造で政敵の福田赳夫を蔵相に任命(1973年11月)。公定歩合の引き上げや総需要抑制策を実施した。
その結果、74年は戦後初めてマイナス成長となり、高度経済成長がついに終焉した。オイルショックが引き金となって、日本経済は大きな歴史的転換点を迎えたのである。田中は同年10月に発覚した金脈問題もあり、11月に退陣に追い込まれた。
自治体の対策を後追いするだけ
第1次オイルショックから半世紀。新型コロナウイルスの感染拡大への日本政府の対応は後手後手に終始した。ウイルス検査が一向に進まないうちにステージは市中感染に進み、感染者数は急増し、ついに1000人を超えた。2月13日に政府が打ち出したのは153億円の緊急対策のみ。2月27日になって唐突に公立小中高の休校を要請し、29日に首相が記者会見で説明。会見では緊急対策第2弾として予備費2700億円の活用にも言及したが、具体策は何もなかった。そして3月2日になると参院予算委で「緊急事態宣言」の実施を可能とする法整備を進める考えを表明した。
休校要請、緊急事態宣言はいずれも北海道の鈴木知事が先行して実施している対策だ。自治体の対応を後追いするかのような対策しか打ち出せない。「緊急事態」の法的根拠に関しては、住民への外出自粛要請や物資の強制買い上げなど私権制限が可能となる「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(2012年成立=特措法)がある。この法律では「新型インフルエンザ等」について「感染症法第六条第七項に規定する新型インフルエンザ等感染症及び同条第九項に規定する新感染症(全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る。)をいう。」と規定している。
特措法は、私権制限、人権制限拡大につながることから制定時に反対論の強かった法律だが、今、安倍内閣はその改正を目指していると報じられている。法律自体の是非論は別にして、緊急時の対策の法的根拠が必要であれば、特措法の適用ではダメなのか。立憲民主党など野党は「現行法で対応できる」と主張している。首相は「原因となる病原体が特定されていることなどから現行の法令(特措法)では困難」としている。改正では時間がかかるし、適用範囲や私権制限が強化される懸念も拭いきれない。
一事が万事、対応が遅すぎるし、有効な手が打てない。マスク問題一つとってもそうだ。政府は先月、業界団体にマスク増産を要請。マスク不足解消の時期について菅官房長官は「考えているのは来週以降ということ」(2月12日)と言ったが、3月になっても、どの店に行っても品切れ状態だ。高額の転売を規制することもできず、3月5日になってようやく転売を禁止した。
それでいて突然、安倍首相は3月1日になると「国が一括してメーカーから買い取ったマスクを北海道の感染者の広がりが見える市町村の住民にお届けする」と言い出した。これには、マスクが手に入らない状況にいら立つ国民から不満・反発が相次いだ。あとになって、加藤勝信厚労相が国民生活安定緊急措置法に基づくと説明したが、この法的根拠、重要な決定をなぜ首相自らが国民にきちんと説明しないのか。狂乱物価と石油危機に直面し、政敵までも閣内に取り込んで危機に対処したオイルショック時の田中角栄とは大違いだ。
事態は確実に悪化している。このままでは消費税増税の悪影響に続くコロナショックで、日本経済はガタガタになってしまう。日本政府の新型コロナウイルス感染への対応のまずさは世界中に広まり、感染拡大を理由にインドは日本人向けに発給したビザの無効を発表した。米国のトランプ大統領も日本を渡航制限の対象国とする可能性を表明した。政府の危機管理能力の欠如が露呈し、国民の間には不安心理と不満が高まる一方だ。
(文=山田稔/ジャーナリスト、一部敬称略)