NHKが池江璃花子への取材を始めたのは、2015年。2016年には池江はリオデジャネイロ五輪で日本競泳史上初の7種目での出場を実現。2018年のアジア競技大会では日本史上最多の6種目で優勝した。東京五輪での活躍に期待が高まっていたが、2019年2月19日、白血病と診断されたと池江は発表した。
5月9日の『NHKスペシャル ふり向かずに 前へ 池江璃花子 19歳』は、闘病から現在までを追った。新しい記録を次々に成し遂げていた頃の心境を、池江は語った。
「正直限界はないと思ってて、例えば世界記録まであと1秒あるとしたら、自分より1秒早い人がいるわけだから、自分も絶対同じ人間だから、そこにいけないわけない」
10カ月の入院生活を終えて、今年の1月、NHKスペシャルのカメラは池江の家に迎え入れられた。家族やマネージャーが撮った動画を交えながら、池江は入院生活を語った。
「もはや生きてることもしんどいレベルで体調は悪かったです。本当にこんなに苦しいんだったら死んだほうがいいんじゃないかって思っちゃった時もありました」
40度を超える熱、頭痛、嘔吐が続いた。高校の卒業式にも出られず、誕生日も病床で迎えた。2019年12月17日退院。体重は10キロ以上落ち、子どもの頃から日課としていた雲梯が一度もできないほど、体力、筋力が失われていた。白血病だと告げられた時の心境を、池江はより深く語った。
「夢は絶たれたってわかった瞬間に、もうがんばる必要ないんだって思っちゃったっていうか、それはありました。言い方を悪くすればオリンピックに出れなくてよかった。メダルを獲るっていうプレッシャーがのしかかった状況の中で、逆に自分自身にプレッシャーをかけてたんですよ、メダルを獲りたいっていうふうに。そのプレッシャーから解放された」
自宅で週に2回のトレーニング。腕立て伏せさえ満足にできず、腹痛で中断することも。
「今の自分には人を勇気づけることとか、感動させることってできないし何もない。泳いでなければ何もない人間なのかな」
池江は自分で少しでも明るい気持ちになるように、入学したまま通えないでいた大学で補講を受けたり、友人と会う。
「脚が細くなったおかげで、似合うズボンが増えたんです」
ショッピングで、池江は明るい笑顔を見せた。
406日ぶりにプールへ
2月8日、トレーニングが新しい段階に入る。家から出て、マシンや器具を使うトレーニングが始まった。池江は喜びを露わにした。
「今日でちょうど1年、発覚して」「記念日だ。2月8日は私の人生の記念日としておきましょう」「3カ月後にはきっともう泳いでますよ」
しだいに懸垂もできるようになり、昨年6月には一度もできなかった腕立て伏せが10回もできるようになった。池江はひさびさに腕にできた力こぶを、カメラに向けた。そしていよいよ、プールに入る許可が医師から出た。
「泳げなかった今の時期のことは絶対に忘れないと思う。泳げることって幸せなんだってこと、いま泳ぎたくても泳げない子、同じ病気だったりとか、水泳ができない子もいるって絶対思うから」
3月17日、406日ぶりに池江はプールに入る。悠々と背泳ぎしながら「めっちゃ気持ちいいんだけど、やばい!」と叫んだ。
3月25日、池江は東京五輪の延期をニュースで知る。
「目の前にある大きな目標を失った感じはめちゃめちゃわかるので、当たり前のことは当たり前からも知れないけど、それが非日常になっちゃう、ある日突然」
東京都の外出自粛要請に従って、その後はオンラインでの取材となる。4月22日、池江は自宅から語った。
「病気の人たち、普通に生活する人たち、スポーツをやってる人たち、全員の気持ちがわかるようになったから、結果うんぬんよりも、どん底まで行った人間がここまで上がってきたっていう成長をちょっとずつでもいいから見せて行ければいいんじゃないかと思います」
インターネット上では、番組を観た視聴者から以下のような声が数多く上がっている。
「録画してたのを、観終わって思うのは、池江璃花子選手を心から尊敬します」
「奇跡ではなく、壮絶な努力による必然の復活。応援しています」
「昨日のNスペを食い入るように見ていた夫。先日から近所をゆっくり一回りするくらい元気になってきたんだけど、今日は療養後初めて『5km走ってみたい』と言った。『池江璃花子が頑張ってるからな。俺も』池江さんの力ってすごい。ありがとう」
「凄いとしか言えない。彼女はきっと病気前よりも強くなると思えてくる」
「池江璃花子選手のドキュメント、アバンだけで涙腺ぶっ壊れた。池江璃花子『選手』ではなく、池江璃花子『さん』として、その強さに尊敬しかない」
「結果がすべてなんていうことは絶対になくて、そこまでの過程こそが人格を作り、周りの人を感動させるんだとあらためて思った」
「存在そのものが感動を与える。彼女がいくつもたたき出した記録よりメダルより彼女という存在そのものが希有」
「池江さんの想いがこれほどまっすぐ心に伝わってきたのはナマの音や声を活かした番組作りが素晴らしかったから。余計なナレーションや音楽がなく、余韻を残した編集はスポーツドキュメンタリーのお手本だと思いました」
新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの人が、今までできていたことができなくなっている。復活を目指して奮闘する池江の姿は、多くの人に励ましを与えたのではないだろうか。
(文=編集部)