死亡しミイラ化した母親と2年間生活した男の記録…年金騙取でも裁判官の“温情判決”
新型コロナウイルスの感染拡大で裁判所は大変なことになった。
4月7日、東京など7都府県に緊急事態宣言が出た。同月16日には全国に拡大。東京地裁の場合、4月8日から民事の開廷(弁論期日)が0件になった。それまで1日だいたい400数十件ぐらいあったものが、見事にゼロになったのである。民事は、少なくとも原告・被告双方の本人または代理人弁護士が原則出頭する。450件なら少なくとも900人。それがパタッとゼロになったのだ。
刑事の開廷(公判期日)は4~5分の1に激減した。何より、日々あれほど押し寄せていた小中高校生、大学生、法科大学院生、また傍聴見学、新人研修等の団体の姿が消えた。傍聴デートのカップルもいなくなった。裁判傍聴マニアもだいぶ減った。
1階フロアは閑散として、建物の巨大さ、天井の高さがやけに目立った。4~8階は南北に長い中央廊下(私の歩測で約100メートル)の左右にたくさんの法廷が詰まっているが、ひっそりと静まりかえり、ほとんどゴーストタウンだった。
法廷内は「ソーシャル・ディスタンス」で傍聴席が大幅に制限された。「不使用」と黒々とプリントされた紙が多くの傍聴席に貼りつけられた。東京地裁の刑事裁判は主に、傍聴席が20席、42席、52席の法廷を使う。そのうち傍聴人が座れる席はこうなった。
20席 → 8席 60.0%減
42席 → 16席 61.9%減
52席 → 19席 63.5%減
そんななか、いちばん小さい8席の法廷で「死体遺棄、詐欺」を傍聴した。8席のうち2席が特別傍聴席(関係者のための取り置き席)とされた。残り6席は、開廷7分前にドアの施錠が解かれるやすぐに埋まった。たった6人で一般傍聴席は完全満席だ。
特別傍聴席は最後まで無人だった。数分おきに傍聴人がやって来て、空いた2席に特別傍聴席の札があるのを見て去った。関係者は来そうもないのだから一般傍聴人を座らせよう、そもそも広い法廷を使おう、という発想は裁判所にはない。その話は長くなるので、またの機会に。
裁判官をはじめ全員がマスク着用だった。いや、傍聴マニアが1人だけマスクなしだった。その男性に、あとで私は予備のマスクを1つ差し上げた。
被告人は50代半ば。髪は濃く、マスクの上に出た目はぱっちりして眉は太い。目つきがどこか少年のようだ。検察官(若い女性)が起訴状を読み上げた。被告人は、2年ほど前に自宅で母親(当時78歳)が亡くなったのに役所に届けず、母親の各種年金、合計262万4110円を不正に得たのだという。
この事件は昨年末に全国報道されている。テレビ・新聞の報道は警察の逮捕発表(記者レク)の要約にすぎない。本当は何があったのか、被告人が法廷で訥々と供述した。
「3人」の生活
2017年3月、母親が脳梗塞で倒れた。母親は入院を嫌がった。被告人のマンションで「3人」で暮らすことになった。3人目は誰なのか。それは「猫」だった。猫と合わせて「3人」でいつまでも仲良く暮らそうと、母親は言ったのだそうだ(以下、聞き取れなかった部分は「……」)。
被告人「(母親は)甘えてくれました。すごく、子どもみたいに……」
母親は、いつ亡くなったのか、弁護人(中年男性)が尋ねた。
被告人「平成30年(2018年)、おそらく、1月8日、あのとき……」
弁護人「どんな状況で?」
被告人はゆっくりと噛みしめるように語り始めた。
被告人「食事のあと、起こして、薬飲ませて……苦しみだしたんです……そのまま、ぐったり、自分の、手の中で……もしかしたら、そのとき、亡くなった……」
お母さんは大好きな息子の腕の中で息を引き取ったのだ。私はちょっと涙が出そうになった。
捜査段階の被告人の調書には「すごく動転して、すぐには受け容れられなかった」とあるのだという。いつ頃、受け容れられたのか。
被告人「それまでは、話しかけたり、してた……(母親は)テレビのほう向いて、目を閉じて、話しかけても、返事しないことが、多かったんですが……同じ体勢が続き……寝てんだよねって……自分の中では、たぶん、わかってた、亡くなってるって……4、5日経って、急に喉が渇いて、ペットボトルで何か、飲んで、そのとき、なんか凄い涙が…泣いてしまって…あ、亡くなった……」
なぜ役所に届けなかったのか。
被告人「僕の部屋で亡くなってしまって……部屋、追い出されると思った……あと、警察へ行かなくては……猫、どうしよう……いろいろなことを考えてしまって……自分の中では……(いつまでもいっしょに暮らそうというのを)遺言みたいな感じで取ってしまって……その間も、いろいろ、考えてたんですけど……」
なんと2年近くその状態で暮らし、2019年12月30日、「もう耐えられない」と自首。翌31日に警察は逮捕して記者発表、全国報道となったのだ。母親の遺体は何重にもビニールにくるまれ「ミイラ化」していたという。
前科なしでも実刑
しかしこれは裁判だ。哀しい感動話で終わってはいけない。検察官はもちろん裁判官も、母親の死亡を届けなかったのは年金を騙し取りたかったからだ、という方向で執拗に攻めた。
被告人は訥々と述べた。要するに「3人」の日々を壊すのが怖かった、留守の間に誰か来るのではないかという恐怖があって仕事に出られず、母親の団地の家賃、自分のマンションの家賃、双方の光熱水道費、あと自分の煙草代を払うと、食費に充てられるのは月3万円程度だったという。
求刑は懲役3年。翌々週、判決が言い渡された。懲役2年、未決80日算入。勾留されていた期間のうち80日を懲役2年から差し引くということだ。
前科なしなのに、さくっと実刑。しかし裁判官は無慈悲なわけじゃない。「死体遺棄」はともかく「詐欺」の部分は被害額が250万円を超える。弁償できていない。ならば実刑、これはお約束なのだ。裁判とはそういうものなのだ。
被告人は再び手錠・腰縄をつけられ、淡々と退廷していった。猫は今頃どうしているのだろう。「3人」の日々は終わったのだ。
5月25日、緊急事態宣言が解除された。その頃から、東京地裁は民事も刑事も、従来の開廷数には遠く及ばないものの、少しずつ開廷が増え始めた。年末へ向け、溜めていた事件がどっと法廷へ出てくるのではないか。傍聴席については、今年いっぱいはもちろん来年も、大幅に制限され続けるだろうと私は読む。またご報告しよう。