韓国の大統領に左派の文在寅氏が選ばれたことで、対北朝鮮政策は金大中・廬武鉉政権で採用された「太陽政策」が再び登場することになりそうだ。また、対日関係も、朴槿恵政権時代の慰安婦合意は破棄され、日本との再交渉を目指すなど、対日政策は全面的に見直され、日韓関係改善は絶望的だ。
まず、文氏の対北政策を端的に示すエピソードを紹介しよう。
中央日報(日本語電子版)は、2007年の国連における対北人権非難決議採択に関する北朝鮮への「おうかがい疑惑」を報じている。当時、廬武鉉大統領の秘書室長だった文氏が、採決に当たって韓国は賛成票を投じるべきか、それとも棄権すべきか、当時の北朝鮮の最高指導者、金正日総書記の側近に意見を求めるよう指示していたというものだ。
結局、韓国は国連の場で棄権してしまった。北朝鮮の人権無視の実態をどの国よりもよく知るはずの韓国の棄権だけに、日米欧の各国から廬武鉉政権の対北政策に不信の声が上がったのは想像に難くない。
破綻した「太陽政策」
もともと廬武鉉政権は、1998年に成立した金大中政権が打ち出した「太陽政策」の継承を公約にして誕生した。太陽政策と逆の政策は「北風政策」であるのはいうまでもない。この政策の命名は、イソップ寓話『北風と太陽』にちなんでいる。北風と太陽の力比べで、旅人の上着をどちらが脱がせることができるかを競い合ったというもの。結局、冷たい北風よりも、暖かい太陽のほうが旅人の上着を脱がせることに成功。太陽の勝ちとなった。
この寓話をもとに、金大中は厳しい対北制裁よりも、経済的支援を中心とする融和策を採った。2000年に金大中と金正日による南北首脳会談が実現するなど南北対話を促進したということで、金大中は後年、ノーベル平和賞に輝いた。
金大中の政策を引き継いだ廬武鉉政権でも太陽政策が継承されたが、廬武鉉が大統領在任中の06年10月に、北朝鮮が国連などの反対を押し切って核実験を行ったと発表したことで太陽政策は破綻した。北朝鮮は太陽政策で得た支援、経済的な利益を核兵器開発の原資にしており、結果的に金大中・廬武鉉の2代の韓国大統領が北の核開発に手を貸したことになる。