大手新聞、企業ニュース大誤報は記者の勲章?お詫び不要で問題視すらされないカラクリ
「昭和45年に亜細亜経済新聞が日々新聞と合併して日亜新聞になって以来、英国のフィナンシャル・タイムズ(FT)や米国のウォールストリート・ジャーナル(WSJ)のような、ちゃんとした経済新聞がないだろう。それは経済大国として恥ずかしい。うちと日亜が一緒になって、日本を代表する経済媒体を育てようというわけだ」
「でも、日本にも『日刊金融産業新聞』があるじゃないですか。部数だって、公称では150万部といいますし、『日本のFT』とか『日本のWSJ』とか盛んに宣伝していますよ」
北川が怪訝な顔で疑念を口にすると、小山が身を乗り出した。
「北川さん、巷間、『日刊金融産業』がなんと言われているか知らないんですか?」
小山が小ばかにしたような表情を垣間見せた。
「僕は長いこと、大阪勤務で、日本経済の中枢から離れていたけど、それくらいは知っている。『政府広報紙』とか『財界御用新聞』とか言われているんだろ。バカにするなよ」
「いえ、それは誤解です。バカにするなんて気は毛頭ないですから」
一瞬、むっとした表情を浮かべた北川も小山の言い訳に怒りを収め、話を続けた。
「わかったけど、部数が150万部もある『日刊金融産業』の壁は厚いと思ったんだ」
「君はやっぱり大阪勤務が長いから、業界の状況に疎いな。少し勉強しないといけないぞ」
松野が北川を諭すように、日刊金融産業新聞社の来歴から解説した。
日刊金融産業新聞は、戦後生まれの経済専門紙だ。戦前まで、鉄鋼、造船などの主要産業の業界紙の記者だった有志が財界の支援を受け、昭和23年(1948年)に発刊した。高度成長期に製造業中心から金融、サービス業、経済官庁にも取材範囲を広げ、名実ともに亜細亜経済新聞に次ぐ総合経済紙になった。
昭和45年に経済紙でダントツのトップだった亜細亜経済が日々新聞と合併すると、日刊金融産業が唯一の総合経済紙となり、バブル期の1980年代後半には200万部を突破した。経済情報のリーク先として、亜細亜の伝統を受け継いだ日亜新聞と競り合った。
しかし、バブル崩壊後は日亜だけでなく、大都や国民も経済情報を重視し始めたこともあり、日刊金融産業は部数がじりじり減り始めた。21世紀に入ると、経済情報のリーク先としても日亜はもちろん、大都や国民の後塵を拝するようになっていた。
「日刊金融産業はもう敵じゃない、攻めれば、部数をかなり奪えるということですね」
松野の説明を黙って聞いた北川が、納得したように確認した。
「そういうことだ。それに、経済情報は仮に大誤報を流しても、ほっかむりできるんだ。社会ネタだと、誤報を流せば最低、『お詫び』は載せなきゃいけないし、時には誤報の顛末を検証する必要もある。それが経済情報だと、必要ないんだな」
「え、それ、どういうことですか?」
松野の予想外に説明に、北川が唖然とした顔つきで問い返した。
「今年の元旦の日亜朝刊1面のトップ記事、あれ、大誤報だって君も知っているだろう」
「総合重機メーカートップの日本重工業と、総合電機トップの東京電気製作所の経営統合の大虚報ですね。村尾さんと小山さんには悪いけど、火のないところに煙を立てた感じですね」
「その話題はよしにしましょう。先輩、もうお開きにしましょう」
困惑気味の村尾が割って入ると、松野は大笑いして、湯呑み茶碗を取った。