秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまの婚約内定相手である小室圭さんは4月8日に文書を公表し、母の佳代さんと元婚約者との金銭トラブルをめぐるこれまでの交渉の経緯や報道に対する見解を述べた。全28枚にも及ぶものだったが、私は言い訳と自己正当化に終始している印象を受けた。
たとえば、佳代さんの元婚約者は「貸した」との認識を示し、返金を求めていたにもかかわらず、国民が納得できるような説明をせず、行動も起こさなかった理由について、小室さんは、複数の弁護士から「反応すべきではなく、何もしない方がよい」とアドバイスされたからだと説明している。また、「元婚約者の方のご真意が分からない」とも述べているが、それなら、真意を知るために話し合いを重ねるべきだったと思う。
私が何よりも驚いたのは、元婚約者に解決金を渡すという選択肢も考えていたにもかかわらず、そうしなかった理由について「お金をお渡しすれば借金だったことにされてしまう可能性は高いように思えました」と説明していることである。さらに、「早期解決と引き換えに借金でなかったものが借金であったことにされてしまう事態を受け入れることはできないと考えたからです」とも述べており、やはり「借りた」ということをきちんと認識していなかったのだと痛感した。
これは、この連載で繰り返し指摘してきたように、小室さん母子が<例外者>だからだろう。<例外者>とは、子どもの頃に味わった体験や苦悩ゆえに「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と感じており、「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には例外的な特権が与えられてしかるべきだ」と思い込んでいる人間である。
何を「不公正」と感じるかは人それぞれである。容姿に恵まれなかった、貧困家庭に生まれた、親に愛されなかった……など、本人が不利益をこうむったと感じ、運命を恨む権利があると考えれば、それが自分は<例外者>だという思い込みにつながる。
小室さんの場合は、やはり父の自殺だろう。また、佳代さんの場合は、二間ほどの借家で育ち、母(圭さんにとっては祖母)がリウマチを患っていたことだろう。こういう苦労を幼少期に味わった人は、「自分たちが苦労した分、あらゆる損害賠償を求める権利があるはず」と思い込むことが少なくない。
<例外者>は、自分がいかに不幸だったか、どれだけ苦労したかを強調して、例外的な特権を要求することを正当化しようとする。小室さん母子が、母親の元婚約者が用立ててくれた約400万円を「借金」ではなく「贈与」だと主張し続けてきたのも、<例外者>特有の自己正当化によると考えられる。
また、佳代さんが結婚後BMWに乗っていたとか、小室さんが成人したときの記念写真を帝国ホテルの写真館で撮らせたとかいう報道から、ブランド志向が強い印象を受ける。このようなブランド志向も<例外者>にはしばしば認められる。かつては羨望のまなざしで眺めていたが、決して手にすることはできなかったブランドを自分のものにすることによって、幼少期の苦労を補填しようとしているのかもしれない。
もちろん、誰だって自分の望み通りの容姿や才能をもって生まれるわけではない。また、誰だって恵まれた家庭で育つわけでもない。だから、誰だって遺伝的にも家庭環境においても多かれ少なかれ不利益をこうむっているわけで、運命を恨む権利があると考える人がいるのは当然だ。フロイトが指摘しているように「誰でも、自己愛がごく早い時期に傷つけられたことにたいして、自分のナルシシズムがあらゆる損害賠償を求める権利をもっているのである」(「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」)。
私だって、あの女優さんのように美人で、あのモデルさんのようにスタイルがよくて、あの子のようにお金持ちで親が優しい家に生まれていたらと思うことが何度もあった。それでも、私も含めて多くの人は自分の運命をある程度受け入れ、例外的な特権を要求したい気持ちを封印して生きている。
小室さん母子にわれわれが反感と拒否感を抱くのは、例外的な特権を享受して当然という<例外者>特有の心理がにじみ出ているからではないだろうか。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
ジークムント・フロイト「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの 』光文社古典新訳文庫)