再び、パソナグループ(東京2020オフィシャルサポーター)取締役会長で経済学者の竹中平蔵氏の主張が物議を醸している。竹中氏は6日、関西圏で放送された『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)で、報道各社の世論調査で東京オリンピック(五輪)開催の賛否が2分されていることに関し、「世論は間違ってますよ。世論はしょっちゅう間違ってますから」と言って大炎上したばかり。今回は竹中氏の公式YouTubeチャンネル「平ちゃんねる」で6月9日に公開された動画『【東京五輪】開催すべき理由を徹底解説』(下記動画)で「スペイン風邪でも(五輪を)やった」との主張に批判が殺到。「スペイン風邪」が10日午前、Twitterのトレンド入りした。
「スペイン風邪は新型コロナウイルスと比較にならない」
動画で竹中氏は「万全の対策の講じながら開催してほしい。いや、すべきだと思っています」と主張。「オリンピック・パラリンピックは国内イベントではないということです。世界のイベントなんです」と述べ、「国際的な責任を果たすために国内事情をしっかりとコントロールしながら実行に移す責任がある。それが実は日本が日本で開催されるオリンピック・パラリンピックの本質的な問題だという風に思うんです」と見解を示した。
過去に五輪が中止になった事例は第1次世界大戦と第2次世界大戦の時のみだと指摘し、「これは国内事情ではなくて世界の事情でできないから止めているわけです」と説明した。
そのうえで新型コロナウイルス感染症が全世界的に広がっている現状と、1920年の第7回オリンピック競技大会(ベルギー・アントワープ大会)時の状況を比較し、次のように語った。
「1918年から数年間世界はスペイン風邪というパンデミックに襲われました。しかしこのパンデミックの中でベルギーのアントワープで、きちっとやられました。このスペイン風邪というパンデミックは、はっきり言って今の新型コロナウイルスの影響とは比べものにならないほど大きなものでした。それでもオリンピック・パラリンピックをやろうとやったわけです」
外務省関係者「そもそも大会の形式と性質が違う」
この竹中氏の主張に対し、欧州外交史に詳しい外務省関係者は次のように語る。
「まず現在のオリンピックとアントワープ大会では、開催規模も形式も違います。アントワープ大会は、スペイン風邪の発生から約2年後、第1次世界大戦で国土が焦土と化したベルギーで開催され、8万人規模のスタジアムが急造されて雇用を創出するなど同国の戦災・感染禍の復興に大きく寄与しました。しかし、大戦時中央同盟国陣営だった諸国、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、トルコなどの敗戦国は参加を拒否され、参加国は29カ国、参加選手は2600人という規模でした。ちなみに2016年のリオデジャネイロ大会では参加国・地域は206、選手は約1万1000人です。
ご存知の通り、聖火リレーなどを踏まえた近代五輪の“大会の形式”がほぼ完全に固まったのは1936年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)政権下のドイツ・ベルリン大会(第11回大会)からです。またスポンサーから100億円規模の協賛金を募って、巨大商業スポーツイベント化したのは1984年のロサンゼルス大会からです。その節目、節目で五輪は姿を変えてきたのです。
今回の発言は経済学者としてのご発言なのか。それともパソナグループのトップとしての発言なのかで、またその意味合いが変わってくる気もします。私は感染症の専門家ではないので、スペイン風邪と新型コロナウイルス感染症、どちらが世界的に深刻だったのかについては言及できません。ただ、現代医学は100年前と比べものにならないほど進歩していると思います。人類の100年分の進歩があったのに、パンデミックを起こしているウイルスというものをどう考えるのか、という視点も重要な気もします。
国際的な信義の問題、世界的な感染症が流行しているという状況はアントワープ大会と確かに似ていますが、外交史、国際政治史の観点から単純比較は難しいのではないでしょうか。竹中先生のお考えとは異なるでしょうが、アントワープ大会は、リオ大会のおよそ7分の1の参加国・地域、4分の1の参加選手で行われました。今でいうところの”コンパクト五輪”です。しかも大会へのスポンサーの影響力も少なく、企業の付帯イベントも少なかったのでコロナ禍において理想的な大会形式であることは間違いないとは思いますが」
竹中氏「欧米では人流抑制の議論をしていない」
前出の動画で竹中氏は、「日本では依然として人流を抑えるためにどうこうという話をしていますけど、私の認識ではイギリスやアメリカでは、もうそんな議論はしておりません」と指摘し、次のように語った。
「ワクチンを普及させること。そして国際的責任を果たすために日本は今このオリンピック・パラリンピックを万全の対策を講じながらきっちりとやり抜くこと。それが私は日本の責任であるし、これは日本にとっても、よいことだと思います」
つまり、コンパクト五輪だったアントワープ大会を例に挙げながら、人流の抑制は図らず、ワクチン接種の大規模展開で計画通り開催するべきだという主張なのだろうか。オリンピック憲章には次のような理念が掲げられている。
「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」
多くの人が賛同する崇高な理念だ。五輪開催に関する世論の反発は、“五輪の理念と国際的な信義を守ること”と、“五輪に関与するスポンサーの権益を守ること”を同時に達成することが難しくなっていることの表れなのではないだろうか。そんなコロナ禍の五輪のあり方として、商業五輪以前に開かれたアントワープ大会は確かに一つの参考になるのかもしれない。
(文=編集部)