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江川紹子の「事件ウオッチ」第180回

【江川紹子の懸念】度を超した“五輪特別扱い”…菅首相は専門家の提言を謙虚に聞くべき

文=江川紹子/ジャーナリスト
【江川紹子の懸念】度を超した“五輪特別扱い”…菅首相は専門家の提言を謙虚に聞くべきの画像1
ワクチン接種が加速し、自信を深めているのか……。(写真は「首相官邸」HPより、接種会場を視察する菅首相)

 新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が順調に進んでいるという手応えを感じているからだろうか、9都道府県の緊急事態宣言を発表する記者会見での菅義偉首相の態度からは、自信のようなものが伝わってきた。

混乱はあれど、菅首相が強いリーダーシップでワクチン接種を推進した点は評価されるべき

 確かに、当初の予想を超えて、ワクチン接種は進んでいる。高齢者だけでなく、職域接種や一部大学での接種も始まった。菅首相が掲げた「1日100万人」という高い目標も、達成しようとしている。2回接種を済ませた医療従事者の間では、感染が減っているとの報道もある。このまま接種が進めば、コロナを巡る状況は改善するのではないか、との希望も芽生えてきた。

 一方、自治体によって64歳以下への接種券の配布時期が異なるとか、職域接種は大企業優位になるとか、医学部のない大学は後回しにされるとか、五輪関係者は優先接種されるとか、公平性の観点ではいろいろ問題はあり、不平も聞こえてくる。

 なかなか接種の対象にならない者が、取り残されているような気分に陥り、自治体に文句を言いたくなる気持ちはわかる。ただ、だからといって自治体に押し寄せて列を作ったり、電話で抗議をしたりするというのは感心しない。こうした状況になっているのは、自治体に接種の優先順位を示して準備をさせておきながら、自衛隊の大規模センターががら空きとなるや、その順位を無視した接種を行うなど、政府が場当たり的な対応をしてきたからだ。自治体を責めても仕方がない。

 こうした政府の対応は臨機応変ではあるが、思いつきや準備不足も目立ち、行政に期待される公平さに欠けている。しかし、ワクチンは接種した本人を守るだけでなく、その周囲の人の感染リスクを引き下げることにもつながる。思うように発信ができない高齢者や障害者など、弱者が置き去りにされてはならないが、ある程度公平性や計画性を犠牲にしてでも効率を上げ、ひとりでも多くの人に少しでも早く、というやり方は、感染拡大の防止という点では理にかなっている。菅首相が行政の常識にとらわれず高い目標を掲げ、自治体の尻を叩いてきたことは、評価してよいと私は思っている。

 心配なのは、それによる菅首相の自信が過剰に見えることである。特にオリンピック・パラリンピックの開催に関しては、自説が正しいと思い込んでいるようで、専門家の助言にまともに耳を貸さない態度が顕著だ。

国民の命や健康、安心よりも、スポンサーやIOCの都合が優先される事態

 専門家は、オリ・パラ開催のリスクについて何度も警告を発してきた。特に政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、開催に伴うリスクを評価し、それに対する対策を明らかにするよう、再三助言してきた。それでも政府が耳を貸さないと、世界的パンデミックが続く今の状況での五輪開催について「普通はない」とまで述べ、「規模をできるだけ小さくして管理体制を強化するのは、主催する人の義務だ」と、警告のトーンを上げた。

 ところが菅首相は、専門家の助言をまるで無視し、先進7カ国(G7)首脳会議で、「安全安心なオリパラ」の実施を宣言。開催を国際公約にしてしまった。

 そればかりか政府や組織委員会からは、観客をできるだけ多く入れようとする前のめりな情報発信が続いた。

 16日に行われた対策分科会で政府は、まん延防止重点措置が解除となった地域では、イベントの観客の上限を1万人とする方針を示した。専門家らはこの方針が五輪とは無関係であることを確認し、五輪開催と切り離すことを条件に受け入れた。

 ところが17日には行われた記者会見で、菅首相は早くもこの説明を覆した。一般のイベントの「上限1万人」の方針を上げて、五輪についても「こうしたルールを基本として決定される」と述べたのだ。対策分科会での政府関係者の言動は、専門家をだまし討ちにしたように見える。

 そして、18日付け読売新聞朝刊の1面には、「(五輪の)観客数の上限を『1万人以下』とする方向で最終調整に入った」とする予告記事が載った。政府が新たな方針を発表前に、同紙に先行して報道させるのは、いつものことである。

 この日の夕方、専門家有志が「大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言」を発表した。尾身会長のほか、厚生労働省の専門家組織「アドバイザリーボード」の座長を務める脇田隆字・国立感染症研究所長など、政府や自治体のコロナ対策に協力してきた26人もの専門家が名を連ねた。

 そこでは、五輪開催は「無観客」が望ましいとしたうえで、観客を入れる場合には、「現行の大規模イベント開催基準よりも厳しい基準の採用」などを求めた。

 21日に行われた、政府や組織委、国際オリンピック委員会(IOC)などの5者協議は、この提言をまるで無視する結果となった。「上限1万人」という現行の大規模イベントの開催基準を五輪にも適用する既定路線を追認。さらに開会式は、1万人の観客のほかに、多数の競技団体関係者やスポンサー招待客などを「主催者」扱いで入れる方針だという。その数はやはり1万人に上るとの報道もある。国民の命や健康、「安心」よりも、スポンサーの利益などIOCの都合が優先されていると言わざるをえない。

度を超した“五輪特別扱い”がどのように受け止められるもわからないほどの、市民感覚とのズレ

 菅首相は、感染状況が悪化し緊急事態宣言を発する事態になれば、無観客も辞さない、という。しかし、専門家はそのような事態になる以前の「感染拡大・医療逼迫の予兆が探知された時」に、速やかに無観客とするよう求めていた。

 そのうえ、菅首相も組織委も、どの指標がどのような数値になれば緊急事態宣言を出し、無観客にするか、という基準をまったく明らかにしていない。これでは、多くの重症患者や死者が出て、医療が崩壊寸前になるまで、五輪は通常営業が続く、という事態もあり得るのではないか。

 菅首相は、ワクチン接種が軌道に乗ってきたことで、五輪開催について自信過剰に陥り、すでに「人類がコロナ禍に打ち勝った」気分でいるのではないか。

 しかし、日本でワクチン接種はまだ本格化したばかりだ。1日100万人のペースを保ったとしても、五輪開幕までにできるのは3000万回。2回接種を終えられる人は、せいぜい国民の2~3割程度ではないのか。そのうえ、ワクチンを接種すれば対策は終わり、というわけではない。少なくとも1回は接種した人の割合が6割を超えているイギリスでは、再び感染者が増加し、ロックダウンの解除が延期された。

 先進7カ国(G7)首脳会議が行われたイギリスのコーンウォールでは、政府代表団が使用していたホテル、警備やメディアの関係者が宿泊していたホテルなどで次々に陽性者が出て、感染が爆発的に拡大している、という。それよりイベントとしての規模が大きく、会場も広い地域にわたり、本番の期間も長い五輪がどうなるのか……。今から本当に心配だ。

 専門家たちは提言において、五輪が規模や社会的な注目度において、野球やサッカーなど通常のスポーツイベントとは別格であると指摘した。

 ところが菅首相は、五輪での感染リスクをプロ野球やJリーグなどの試合と同じ程度に考えている節がある。17日の記者会見でも、野球やサッカーで観客を入れてもクラスターが発生していないとして、「(五輪の観客制限は)そうしたことも参考にしながらしっかりやっていく」と述べていた。

 また専門家は、県境をまたぐ移動が起きないよう、観客は開催地の人に限るよう求めていたが、これも無視されている。

 首都圏の自治体は、今も人々に対して「外出の自粛、生活に必要な場合を除く都道府県をまたぐ移動の自粛」(神奈川県)などを求めている。遠方からの五輪観戦旅行を是とするやり方は、これまでの観戦対策の方針と大きく矛盾する。

 五輪観戦のための人の移動を生むだけでなく、矛盾したメッセージに誘発される形で、夏休みの旅行や帰省など、人流を促進する懸念がある。

 さらに、五輪会場では観客への酒類の提供も行う方針だったと伝えられている。厳しい酒類提供制限がなされている飲食店の反発や医療関係者の反対を受け、自民党の二階俊博幹事長まで「アルコール禁止」を言う事態になって、やっと「販売見送り」へと動いた。

 度を超した“五輪特別扱い”が市民にどのように受け止められるか、そんなこともわからないほど市民感覚からズレた感覚の人たちが、オリ・パラの準備を行っている、ということが、改めて明らかになった格好だ。

 専門家の提言によれば、ロックダウンなどの強力で強制的な措置をとってきた欧米と異なり、日本のコロナ対策は市民の自発的な協力に大きく依存してきた。「矛盾したメッセージ」は、人々の感染に対する警戒心を薄れさせたり、人々の分断を深めたりするリスクがあると警告し、次のように求めている。

「政府には、人々の納得と共感を得られるような説明が求められている」

 そうした説明をする責任も果たさないまま、自信と強気で突っ走るのは傲慢に過ぎる。菅首相は、政治や行政のプロとして、ワクチン接種の進め方についてはその手腕を発揮したといえても、感染症やその対策に関しては素人だろう。少しは謙虚に、専門家たちの助言に耳を傾けてもらいたい。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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