ここに来て、静寂に包まれている六代目山口組分裂問題。だが、最近、業界内ではある噂が囁かれていたと関係者らは口にしている。それは、神戸山口組執行部の一端を担う大物組長が引退し、率いた組織を解散させるのではないかという内容だったようだ。
「実際にそうした動きがあったのではないかと言われていた。その組織は、配下の主力組織が六代目山口組系へと復帰を果たし、さらに最近は六代目サイドによる武力攻撃をかけられていた。そうした渦中に、トップが引退し、組織を解散させるのではないかと見られていたのだが、結局は撤回されたという話だ」(業界関係者)
仮に執行部内で重責を担うこの組長が引退すれば、神戸山口組本体もなんらかの意向を示すのではないかという見方も広がっていた。そして、その“意向”の意味を突き詰めていくと、必然的に“神戸山口組の終焉”に辿り着くのだが、そうしたさまざまな憶測を否定するかのように神戸山口組が新たな動きを見せたのだ。
6月22日、札幌に本拠地を置く神戸山口組の二次団体、五龍会・青木和重会長が、新設された神戸山口組の副本部長へと就任したのだ。他にも、これまで神戸山口組の主力組織である俠友会で舎弟頭を務めてきた徳心会・近藤大恵会長が神戸山口組の直系へと昇格し、舎弟の地位に就いたのである。
「近藤会長は武闘派として知られる中野会の出身で、同会が解散するまで本部長を務めた人物。もともとは一和会系組織に所属しており、山一抗争(1980年代中期から後期にかけて、次期組長の継承問題に端を発して、山口組と一和会の間で起きた抗争事件)では、組織のためにジギリ(懲役に行くこと)をかけています。出所後、一和会が解散していたことから、中野会へと移籍し、同会解散後は六代目山口組系へと復帰し、神戸山口組が発足すると俠友会へと移籍。同会で最高幹部を務めていたといわれています」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
このように、分裂問題において劣勢が囁かれ続けていた神戸山口組が、ここに来て人事を動かし、内部昇格で新たな幹部を誕生させたということは、“終焉”などとは反する姿勢だ。これは「まだ諦めたわけではない」という意思表示なのだろうか。
「井上組長(神戸山口組・井上邦雄組長)は、最後のひとりになっても神戸山口組を解散させないと言っているといわれており、離脱が相次いだ中で現在も神戸山口組に在籍している幹部らは、そうした井上組長の意思に同調する考えではないか。反面、そうした神戸山口組の意思表示は、六代目山口組サイドを刺激することにも繋がりかねない」(捜査関係者)
一方で、神戸山口組から袂を分け、独立路線の運営を続けている武闘派組織、五代目山健組もこの日に定例会を開催させたと見られている。
「西川会長(五代目山健組若頭だった、六代目健竜会の故・西川良男会長)が死去され、空席となっていた健竜会会長が発表されたようだ。七代目に就任したのは、蜜岡伸貞会長。健竜会は現在も山健組の中で最大勢力を誇り、直参だけで50名を超えるといわれる巨大組織。今後、新体制を発足させた七代目健竜会が、中田組長(五代目山健組・中田浩司組長)の留守を守りながら、どのような組織運営を行なっていくか、業界内でも注目されている」(某幹部)
健竜会の創設者は、五代目山口組・渡辺芳則組長。その伝統は脈々と受け継がれ、今回、七代目体制が発足されたのだ。某幹部が話すように、六代目山口からも神戸山口組からも一目置かれる五代目山健組に影響力を持つゆえに、七代目健竜会の動向に注目が集まっているのは間違いないだろう。
この夏を迎えれば、六代目山口組分裂後、丸6年の歳月が流れたことになる。分裂問題を解消させるには、まだ時間が必要となるのだろうか。両組織の派手な衝突を封じ込めさせるかのように、当局による規制や厳罰化は現在も続いている。