「15年も真面目に務めていれば、無期懲役でも仮釈放がもらえて社会へと復帰することができる」
かつては、そんなことが言われていた。実際、過去にはそんな時代もあったのだが、現在は有期刑の上限が20年から30年につり上がったこともあり、無期懲役は文字通りの終身刑といっても乱暴ではない状態が生まれている。
まず誰しもが口にすることだが、30年間も留守を待つことのできる身元引受け人がいないという現実がある。あくまで無期懲役の受刑者に許されるのは仮釈放であり、それには必ず身元引受け人が必須だ。たとえ社会へ復帰できたとしても、生涯「仮釈放中」の身分なのである。
近年、筆者が身近で知り得るケースでいえば、一昨年、大阪刑務所で30年余りの懲役を務めた人物が仮釈放され、社会へと復帰している。その際の身元引受け人は、保護会という施設であった。
保護会は更生保護施設ともいい、身元引受け人となる親族などがいない場合、申請が許可された人物の帰住地となる施設である。どこの保護会も、無期懲役囚の身元を引き受けるのは拒むといわれているが、その人物の場合は、ある保護会が身元を引き受けた。当時、その保護会で、この人物と寝食を共にした人は、このように話していた。
「30年の間に痴呆症が進行してしまっており、自分が何の罪で無期懲役となっていたかさえ覚えていなかった。そういう状態だったからこそ、無期懲役でも保護会が身元引受けとなることで、仮釈放されたのではないか」
現在の無期懲役囚とは、それほど社会への復帰が難しいといわれている。ましてや現役のヤクザの場合は、その対象からも除外されるのだ。
無期懲役囚に限らず、現役のヤクザには仮釈放が与えられることはない。対象外となるのだ。そのために組を離脱したことを装い、文書で離脱を表明、その後、仮釈放をもらって少しでも早く社会復帰し、その後、組織に合流することも決して珍しいことではない。
だが、そうした手段を使わず、実質終身刑を受け入れる覚悟で、現役の極道のまま岐阜刑務所に服役している人物が、六代目山口組には存在している。当サイトでも以前に紹介した、六代目山口組二代目小西一家・落合勇治総長だ【参考記事:『サムライ』が描く大物極道の生き様】。
落合総長が首謀者として逮捕された埼玉抗争では、二代目小西一家だけで、四十数名の組幹部らが逮捕されており、同一家で若頭を務めた二代目堀政連合・小濱秀治会長も先月、最高裁で無期懲役が確定している。ただ無期懲役が確定した現在も、その主張は一貫して変わることなく、確定した判決の取り消しを求めて、弁護団によっての再審請求の用意が始まっているという。
新たな直参の誕生
小西一家といえば、初代である小西音松総長が創設した組織で、三代目山口組時代からの名門組織。そして、落合総長や小濱若頭が社会不在を余儀なくされていることから、二代目小西一家を守り続けていたのが、小牧利之総長代行だったのだ。
「落合総長が埼玉抗争で逮捕されてから、本家の定例会にも、総長の代理で小牧代行が出席されていた。小牧代行は大阪を拠点にしており、昔気質の極道として知られる人物」(六代目山口組系幹部)
その小牧総長代行が7月5日、三代目小西一家の総長に就任したという。それと同時に落合総長は、三代目小西一家の総裁に就任したというのだ。
「これは落合総長の意志に沿ったもの。落合総長が下獄する際、仮に(小濱)若頭が無罪で釈放されれば、若頭に代を譲る予定だったと聞いている。しかし若頭も最高裁の判決で無期懲役になってしまった。その時は小西一家の伝統を残すために、社会にいる(小牧)代行に代を譲ると落合総長が決められていたようだ。その意向を六代目山口組サイドが汲んで、三代目に代替わりしたという話だ。六代目山口組では、小西一家の伝統と落合総長の意志を重んじている証ではないか」(地元関係者)
これに合わせて、落合総長は当代を小牧総長代行に譲って名誉職の総裁に就任。小濱若頭は同じく名誉職の最高顧問に就任にしたのだ。直参組織での代目継承にあたっての総裁制の導入は、六代目山口組中核団体である弘道会以来のことで、それだけ特別な措置といえるだろう。
それはすべて組織のために身体を張った落合総長の意向を尊重し、六代目山口組上層部が動いたということである。現在、六代目山口組は分裂状態にあり、二次団体(直系組織)を統合させるなどして、地域強化をはかる試みを取り入れている。総裁を置くことでツートップ体制を可能にした今回の落合新総裁の意向は、そうした新しい試みにも影響を及ぼしていくのかもしれない。
(文=沖田臥竜/作家)