止められない男性記者
ある男性記者は5年前の経験を語ってくれました。
「自分の後任の女性記者を、ある地方の有力者に紹介したんですよ。そうしたら、その場で初対面の女性記者の二の腕をつまんで、プニプニ揉んでいました。今思えば、『やめましょう』と言うべきだった。その場で『あっ』と思ったのですが言えなかったですね」
彼は目の前で後輩記者がセクハラにあっていることは意識していた。まずいぞ、止めるべきだとも思った。でも止められなかった、ということです。
この男性記者に、セクハラの代わりに男性は何を情報提供の対価としているのかと聞いたら「土下座」という答えが返ってきました。文字通りの土下座ではなく、土下座せんばかりの関係性、相手が圧倒的に上位になる関係性に甘んじ、パワハラも我慢するということです。
ある男性記者は、#MeTooに対する社内の上の世代からの反発を教えてくれました。
「じゃあ、お前らは鼻血が出るほど、仕事先を回ったことがあるのか」
「なりふり構わず必死な取材をしているのか」
さらには、女性記者に対して「取材先のガードが緩くなるので、女性だから得をしている」「女を使って情報を得ていたのに、今さらなんだ」という声もあちこちで耳にしました。
いったいいつから、取材対象者は「男性記者にパワハラをしていい。女性記者にはセクハラをしていい」という“学習”をしたのだろうか?
今こそ「アンラーニング」を
人材育成や組織開発などの手法に「ラーニング」「アンラーニング」という言葉があります。「ラーニング」は学ぶこと、「アンラーニング」は「いったん学んだ知識や既存の価値観を棄て去り、新たに学び直すこと」です。
現在のセクハラ、パワハラの悪循環を断つには、個人の問題ではなく「組織としてラーニングしてしまったことを、いかに捨てるか」という課題になります。
これは長時間労働の構造と似ています。長時間労働も組織として「それが良いこと」と学習され、経済の構造が変わっても「アンラーニング」されないままきてしまいました。長時間労働をやめるには、組織的に学び直しをすることが必要です。そのために「消灯」や「パソコンの強制オフ」「残業しないチームにボーナス支給」などのショック療法も必要です。