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『青天を衝け』渋沢栄一の2人の甥っ子は渋沢栄一の娘婿?…複雑怪奇な姻戚関係を考える

文=菊地浩之
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『青天を衝け』渋沢栄一の2人の甥っ子は渋沢栄一の娘婿?…複雑怪奇な姻戚関係を考えるの画像1
『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一は艶福家で、実は正妻以外にも子どもがたくさん。側室である「大阪の女中・大内くに」との間に生まれた娘は、それぞれ正妻・千代の甥(大川平三郎と尾高次郎)に嫁ぎ……。現代人には理解できないです。(画像はNHK『青天を衝け』公式Instagramより)

渋沢栄一の妻・千代の“尾高兄弟”は実は7人だった

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』第25回(8月22日放送)で、渋沢家の見立てで養子になっていた渋沢平九郎(演:岡田健史)が討ち死に。実兄の尾高長七郎(演:満島真之介)は牢から釈放されたが、廃人のようになってしまい、間もなく病死してしまう。

 尾高4兄弟は尾高惇忠(演:田辺誠一)と千代(演:橋本愛)の半分に減ってしまった――といいたいところなのだが、実際は7人兄弟だったらしい。

・長女 みち 大川修三の妻 
・次女 こう 岡部幸右衛門の妻
・長男 尾高新五郎惇忠  (1830~1901年)
・次男 尾高長七郎弘忠  (1836~1868年)
・三女 千代 渋沢栄一の妻(1841~1882年)
・四女 くに 尾高幸五郎の妻
・三男 渋沢平九郎昌忠  (1847~1868年)

 渋沢栄一(演:吉沢亮)には多くの子どもがいるのだが、そのうち2人が尾高の甥に嫁いでいる。ひとりが千代の姉・みちの子である大川平三郎、そしてもうひとりが惇忠の子・尾高次郎である。栄一と千代は従兄弟同士だった。栄一の子と、千代の兄弟の子もまた従兄弟同士――だと思ったら大間違い。そこが渋沢家のややこしいところである。

 一時期、渋沢栄一の艶福家ぶりがネットで話題となり、大河ドラマの主人公としてはいかがなものか(といわれても今さらどうにもならないんだけどなぁ)といった記事が散見された。しかし、まさか大河ドラマで側室なんか登場させないだろう――と思っていたら、追加キャストに「大阪の女中・大内くに」(演:仁村紗和)との発表があった。

「えっ? この人、栄一の側室じゃん」

 そして、栄一と大内くにの間に生まれた娘が、それぞれ千代の甥(大川平三郎と尾高次郎)に嫁いでいる。一方、栄一と千代の間に生まれた娘2人は、それぞれ前途有望な東京大学卒の若者に縁付いている。現代人には理解できそうもない、この微妙なバランス感覚が、当時の栄一としてはナイスなアイデアだったのだろう。

渋沢栄一の妻・千代の兄である尾高惇忠…惇忠の子である尾高次郎とその子どもたち

 尾高次郎は慶応2(1866)年に惇忠の長男として生まれた(戸籍上は惇忠の義弟・尾高幸五郎の長男になっているらしい)。東京高商(現・一橋大学)を卒業し、栄一がつくった第一銀行(現・みずほ銀行)に入行、名古屋支店長、監査役等を歴任。これまた栄一が大株主になっていた東洋生命保険(現・朝日生命保険)の社長に就任した。大正7(1918)年に埼玉県に武州銀行(現・埼玉りそな銀行)を設立し、その初代頭取を務めた。

 尾高次郎・ふみ夫妻には六男五女がいた(三女は早世)。父・次郎の役職を引き継ぐものがいる一方、大学教授、美術研究者、交響楽団の指揮者など幅広い分野で名を成している。『青天を衝け』のテーマ曲を指揮する尾高忠明は、六男・尾高尚忠の子である。

・長女 永田アヤ  武州銀行頭取・永田甚之助の妻
・長男 尾高豊作  武州銀行副頭取
・次女 金井イネ  興国人絹パルプ社長・金井滋直の妻
・次男 大川鉄雄  大川平三郎の養子
・三男 尾高朝雄  東京大学法学部長
・四男 尾高鮮之助 国立美術研究所員
・四女 渡 鶴子  上海共同租界警視総監・渡正監の妻
・五女 金杉雪子  三井信託常務・金杉台三の妻
・五男 尾高邦雄  東京大学社会学教授
・六男 尾高尚忠  NHK交響楽団常任指揮者、作曲家

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尾高次郎・ふみ夫妻の六男五女は、さまざまな分野で名を成している。『青天を衝け』の音楽を指揮するのは、栄一のひ孫にあたる尾高忠明だ。
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「製紙王」と呼ばれ「大川財閥」を築いた大川平三郎。栄一の正妻である千代の甥っ子で、栄一と大内くにの間に生まれた娘・てるが嫁いだ。ちょっと人間関係が複雑過ぎません? (画像はWikipediaより)

母親は千代の姉…渋沢栄一の娘婿・大川平三郎とその子どもたち

 大川平三郎は万延元(1860)年に旧川越藩士・大川修三の次男として生まれた。

 平三郎は明治5(1872)年に上京して渋沢栄一の書生となり、3年後の明治8(1875)年に王子製紙(現・王子ホールディングス)に図引工として入社した。王子製紙は栄一がつくった数ある会社のひとつだが、「工場の煙突から煙の上るのを朝夕眺(なが)めるのはひとつの楽しみだった」と語るほど、栄一は目を掛けていた。

 日本初の近代的な製紙会社だったので、外国人技師が技術指導に招聘されていたのだが、平三郎はかれらがあまり仕事もせずに高給をむさぼっているのを見て奮起し、独学で抄紙(しょうし)技術を覚えて外国人技師を追っ払った。そして、米国より技術を導入すべきと建白書を上層部に提出。明治12(1879)年に米国に留学して製紙工場の職工になってそのノウハウを盗んで来いと命じられた。まだ入社5年目の満19歳の小僧なのだが、明治維新の頃の若者には呆れるほどの覇気があり、大層なことをやってのけた時代だったということだろう。

 平三郎は最新技術を身に付けて帰朝、ただちに支配人に進み、その後も最新技術の習得のために渡欧・米国留学してその技術を学び、日本初の木材パルプ工場設立に成功。明治26(1893)年にナンバー2の専務取締役に抜擢された。

 このまま行けば、栄一から社長の座を禅譲されるのも間違いなかろう――と思った矢先、明治30(1897)年に王子製紙が増資を実施。栄一は三井財閥にも声をかけたのだが、三井財閥の事実上のトップ・中上川(なかみがわ)彦次郎は福沢諭吉の甥っ子で、「超」がつくヤリ手だった。中上川は増資と引き替えに、義弟の藤山雷太(らいた)を王子製紙の専務に派遣。社内紛争を巻き起こし、渋沢栄一・大川平三郎を辞職に追い込んで、王子製紙を乗っ取ってしまったのだ。これ以来、王子製紙は三井系企業と認識されるようになる。

 一方、大川平三郎は王子製紙を追われ、事業家として再出発した。各方面に出資したり、事業を興したりした。その結果、多くの事業に少しずつの株式を持ち、役員を務めていたから俗に「大川財閥」と呼ばれていた。

 息子の大川義雄は、大川平三郎が「真に自分の事業として手を着けたのは、製紙事業だけ」だったと評価している。具体的には、樺太(カラフト)に設立した樺太工業(製紙業界3位)と、買収した富士製紙(製紙業界首位)である。

 ところが、1920年代後半に起きた昭和金融恐慌で製紙業界にも不況が訪れると、樺太工業と富士製紙は王子製紙に吸収合併されてしまう。かくして、大川財閥は中核事業を失い、単なる大口投資家に後退してしまう。しかも、昭和11(1936)年に大川平三郎その人が死去してしまい、「大川平三郎という一個の個人を紐帯とした関係」、つまり大川財閥と呼ばれた企業群も霧散してしまうのである。

大川家で交わる尾高・大川家の子どもたち

大川平三郎・てる夫妻には一男二女、およびひとりの養子がいた。

・養子 大川鉄雄  尾高次郎の次男
・長男 大川義雄
・次女 田辺タカ子 田辺武次の妻
・三女 迫本てい  迫本実の妻

 平三郎には養子の大川鉄雄、実子の大川義雄という2人の後継者がいた。平三郎が30代後半になっても子ができなかったので、夫人の甥にあたる鉄雄を養子にしたのだ。

 ところが、この2人の後継者はてんでキャラクターが違っていた。

 養子の大川「鉄雄の人柄は、綿密な、消極的な、手堅い人間というところにある。平三郎の積極的に手を拡げる行き方とは正反対だ。酒は一滴も口にせず、大の宴会嫌いで、人に対しても好悪の感情が潔癖的に強く、包容力に乏しいらしい」と当時の書籍は語っている(一部現代風かな遣いに改めた。以下同じ)。

 一方、実子の大川義雄は、というと「これまた不肖の子であるとともに、鉄雄とも人柄が正反対に違う。一口に言えば、ベラボウに派手な人間で、茶屋遊びよし、競馬よし、何よしという塩梅で、将来はいざ知らず、現在までのところ遊ぶことならなんでもござれ、華々しい重役ならいいが真面目にコツコツ働くのは大嫌いというやり方だった」。

「鉄雄の方が平三郎の後継者として実力もあり、人間的信用もあり、関係者や部下の支援は厚いが、親戚の間などでは『固い鉄雄よりも、却ってあの義雄の方が、人間が大きくて、よくなれば大物になるかも知れない。とにかく面白いところがある』という人が無きにしもあらずだ」と評価されたのだが、世の中はそんなに甘くなかった。結局、大川財閥は、大川平三郎一代で終焉を迎えてしまったのである(ちなみに競馬評論家の大川慶次郎は義雄の次男である)。

(文=菊地浩之)

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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