日本大学の井ノ口忠男氏が理事を辞任した。今後、田中英寿理事長への疑惑が検察によって明らかになるようだと、アメリカンフットボール部の「悪質タックル事件」を何とか乗り越えた日大トップへの責任追及が本格化するであろう。1970年代の日大全共闘に対抗して、当時の大学当局の意を体したと言われる田中理事長の身の振り方が注目される。
日大は、危機対策本部を設置して再発防止に努めると公表した。実は日大は危機管理学部を2016年に設置して、危機対策の専門家を育ててきたはずである。ただ、卒業生の就職先としては、当時から実績のあった警察官などを想定していたようだ。それにしても、井ノ口前理事がアメフト事件の被害者関係者に口封じ工作をした責任を取って理事を辞めたのに、数年たって復帰させるという人事は、自大学の危機管理という視点からも疑問がある。
危機管理学部は、安倍晋三元首相の“モリカケサクラ”の加計学園系列の千葉科学大学が日本で初めて04年に設立、同系列の倉敷芸術科学大学が17年 に設立した。やはり就職先に警察官が目立つ。
危機管理の基本は、我々庶民の感覚でいえば「君子危うきに近寄らず」(教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないという意味)である。
今回の日大医学部附属板橋病院の建築にかかわる事件では、大阪の医療法人「錦秀会」の籔本雅巳前理事長が危うい一人だったようだ。医師で安倍元首相のゴルフ仲間であり、本来ならば社会的には警戒すべき人物ではないはずだが、そこは“闇”なのであろう。
籔本氏は1960年生まれである。父親も医師で、関西医科大学から大阪大学医学部大学院を卒業した。当時から関西医大は、近畿圏では屈指の名門私立医大であった。彼は父の医療法人を継いでから、どんどん病院経営を拡大させてきたやり手という評判だ。今回の日大の事件の仕組みも、医療界に精通した彼のアイデアによるところが多かったのではないか、と疑われても不思議ではないだろう。
対照的な『ドクターX』と『ナイト・ドクター』
この秋スタートしたテレビドラマ『ドクターX』(テレビ朝日系)は、資金力が重要な役割を持っている点で籔本氏の件を彷彿させる。ところが、この春に放送された人気ドラマ『ナイト・ドクター』(フジテレビ系)では、まったく別の医療の世界を見せていた。
慢性的な医師不足の夜間救急という状況下で、救急車に運ばれながら各病院から受診の受け入れを拒まれる医療難民、軽いけがでも気軽に受診するコンビニ受診などの実態が浮き彫りになる中で、健康保険料未払いで診療を拒む貧しき父と子、「死なせてくれ」と叫ぶホームレスの急病患者や、虐待されている近所の子どもを自分の子として受診させ罪に問われる女性――そこに『ドクターX』とはまったく違う医療界の現実がある。
しかし、昨今の医学部受験生の中にはコストパフォーマンスで医師を選択する者も少なくない。『ドクターX』の世界を思い描いているのであろう。
国公立大学の医学部は偏差値が60後半から70台で、平均的には医学部以外の東京大学や京都大学に合格する学力が要求される。また、私立大学医学部の教育コストは総額で約3000万~4000万円と言われており、これは大都市近郊で土地付き一戸建てを購入できる水準である。上記のほか、国公立大でも進学塾や予備校の教育コスト、私大ではその上に巨額の学費がかかる。医学部進学には、他学部より数倍のコストがかかるのだ。
しかし、受験コストプラス教育コスト(医学部6年間の教育投資)も、国公立大の医学部なら医師になって数年間で元が取れる。東京近郊で30代の高額所得者は、ほとんどが医師であると言われる。私大医学部では開業医の家庭出身者も少なくなく、高齢化で地域の患者も増えているので、平均的な医院経営で40歳頃までには医学部卒業までの総コストを回収できるのだ。
確かに、医師はコスパが良い職業の筆頭と言える。ところが、これからも医師が本当に労働実態に見合った高収入というコスパの良い職業であり続けられるか、という点では疑問符がつく。
今まで財務省と厚生労働省と文部科学省が、総医療費の抑制、また日本医師会からの圧力などで医師の養成数を抑制してきたが、新型コロナの医療逼迫によって医療現場の実態が多様化しており、医師の養成方針が単なる抑制から人数を増やす方向へと変わる可能性が高まっているからである。一方で、財政的理由から全国の保健所の数を1989年の848カ所から2020年には469カ所に減らした結果、コロナ禍対策で人員不足が露呈した。
今後は財政的視点だけでなく、必要ならば医療体制の拡充にも取り組み、医師などの増員も検討されるであろう。その契機のひとつとなりそうなのが、大学設置形態の枠を超えた医学部入試の地域枠である。
制度として恒久化される地域枠はどう影響するか
現在、医学部の入試で大きな変革となるのが地域枠の制度化である。今までも医学部には、国公立大だけでなく私大にも地域枠があった。たとえば新潟県では、地元の地域医療に従事する医師を養成する地域枠について、22年度は7大学53人という方針を明らかにした。21年度の4大学33人から倍増に近い。従来の新潟大学と昭和大学に加えて、首都圏の東邦大学、東京医科大学、杏林大学の私大医学部にも枠を設けた。
同県では、地域枠の学生に修学資金として県などが1人につき月額15万~約50万円を貸与している。卒業後、県内の指定された病院で9年間勤務すれば、6年間の合計で約1080万~3700万円の貸与額の返済が免除される。卒業後の指定勤務先には、23年度に開院予定の県央基幹(三条市)や県立中央(上越市)など地域の中核病院が含まれるという。
ただ、ネットなどでは、地域枠の現行では奨学金や貸与金を全額自己負担で返済しても地元の病院勤務を強要されることもあるとの情報も出回っており、地域枠受験は一般枠受験より格落ちすると見られていた。
しかし、国立大医学部入試では前期試験の地域枠の多くは併願できるため、地域枠重視の方針のところも少なくない。たとえば、鳥取大学の前期日程では「地域枠」2名は臨時的に増員された定員ではないため、選抜結果によっては一般枠に振り替える。弘前大学の総合選抜では、青森県内枠の不合格者を「北海道・東北枠」」を合わせて上位15人を「北海道・東北枠」合格者とする。地元医療機関への勤務を希望する地域枠の受験生ならば、一般枠やその他の入試枠まで、合否判定の対象を広げようということであろう。
ところが、首都圏の私大医学部を除いて全国26の医学部学生自治会が参加する医学連の地域枠アンケート(20年実施)の調査結果では、地域枠入学者の約半数が入学前に適切な説明がなされてなかった、と答えている。これでは受験生が不安になるのは無理もない。
今後は文書で明文化して関係者(入学者・保証人と地方自治体と各大学医学部など)間の契約と、その説明責任が、現在予定されている地域枠の制度化において課題になる。奨学金にしても、地方自治体と各大学医学部との地域枠に関する総合的な協定になるが、受験生が懸念する全額を返済した場合の義務免除や留学時の取り扱いなどについて、全医学部地域枠共通の確認事項とすべきだ。
しかし、地域医療に熱意を抱く医学生を優遇することが、今後の大学医学部教育の大きな指針となることは変わらない。
地域枠で“ナイトドクター”を養成すべきだ
東大や京大など研究重視の医学部では、地域枠を設けないケースが想定される。現実に、それらの大学医学部卒業生の中には、医師国家試験を受験せず医学研究者の道に進む者がいる。
しかし、国立大の再ミッションで地域貢献を選んだ地方の多くの国立大や公立大学、私大の医学部では、ナイトドクター(夜間救急専門医)になることも辞さない医師を育てるべきである。格差社会の進行で深刻化する医療福祉を、より充実させなければならないからだ。大学病院だけでなく地域の中核病院などが、その主役になることであろう。
コロナ禍により、まさに地域医療の重要性が再認識されつつある今、地域枠の有効活用は「高い偏差値だけどコスパが良い」というイメージの医学部教育のあり方を大きく転換させるチャンスにすべきである。
(文=木村誠/教育ジャーナリスト)