秋篠宮ご夫妻の長女眞子さんと結婚した小室圭さんについて、「『小室圭さん』2回目も『不合格』濃厚でどうなる『眞子さん』NY生活」と題する記事が「週刊新潮 」(11月18日号/新潮社)に掲載された。
記事では、ニューヨーク州の司法試験で不合格となった小室圭さんの“敗因”を分析している。主に、眞子さんとのスカイプでのリモート会話などが連日長時間に及んだことや、眞子さんの指示で28枚にも及ぶ膨大な文書を作成して今年4月に発表したことによる勉強時間不足を“敗因”として挙げている。そのうえで、今後は法律事務所で「Law Clerk(法務事務員)」として働く小室さんにとって勉強時間の確保が難しくなるので、来年2月に再チャレンジしても落ちる可能性を指摘している。
小室さんの“敗因”は、果たして勉強時間不足だけだろうか。あくまでも一般論だが、能力や適性に疑問符のつく人がいくら勉強しても、難関の資格試験に合格できるわけではない。同じことは、入学試験にもいえる。長時間勉強したからといって、誰でも東大に入れるわけではないだろう。少なくとも、能力的にそれほど高くない人は、きわめて優秀な人と比べてより多くの勉強時間を必要とするはずで、それを確保できなければ、試験を突破できない。
「他者の欲望」を満たそうとする小室圭さん
そもそも、ニューヨーク州の弁護士になりたいというのは小室さんの本来の欲望だったのだろうかという疑問も抱かざるを得ない。というのも、10月26日の結婚会見で、眞子さんは次のように述べているからだ。
「圭さんの留学については、圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました。留学に際して私は一切の援助をできませんでしたが、圭さんが厳しい状況のなか努力してくれたことをありがたく思っています」
事実とすれば、小室さんは眞子さんの願望を叶えるために渡米してフォーダム大ロースクールに入ったということになる。その点では、これまで母の佳代さんの願望を叶えるために音大の附属小学校、さらにはインターナショナルスクールに入ったのと同じことを繰り返しているように見える。このように同じパターンを繰り返すことを精神分析では「反復強迫」と呼ぶ。
もちろん、フランスの精神分析家ジャック・ラカンが見抜いているように「人間の欲望は他者の欲望である」ので、誰でも多かれ少なかれ「他者の欲望」を取り込んで、それを満たそうとする。とくに、子どもにとって母という「他者の欲望」は何よりも重要なので、それを満たそうとすることは誰にでもあるだろう。
だが、「他者の欲望」を満たそうとするだけでは、操り人形のようになりかねない。そういう事態を避けるには、自分が何をしたいのか、何に向いているのかを見きわめ、自身の欲望と適性を知ることが必要だ。それが大人になるということでもある。
小室さんは、「他者の欲望」を満たそうとするばかりで、その他者が母の佳代さんから、妻の眞子さんに変わっただけのように見える。ニューヨーク州の弁護士になるための挑戦も、眞子さんという「他者の欲望」を満たすためであり、自身の内発的な欲望に触発されたものではなかったから、あまり身が入らなかったのではないか。そのうえ、眞子さんとの結婚という目的を達成したことによって、今後は勉強意欲に火がつかなくなる恐れもないとはいえない。
嫁姑関係は三角関係
来年2月の司法試験の結果がどうなろうとも、小室さん夫妻が幸せならばそれでいいとは思う。国民からの批判をものともせず、秋篠宮ご夫妻の反対も押し切って結婚したのだから、それだけ愛の力が強いのだろう。
だが、私の見立てが正しく、小室さんが「他者の欲望」を満たし続ける人であれば、その欲望を満たすべき2人の他者、つまり母の佳代さんと妻の眞子さんとの板挟みになる可能性は十分考えられる。
そもそも、私の経験から申し上げると、嫁姑関係とは、嫁からすれば夫、姑からすれば息子である“男”をめぐる三角関係にほかならない。だからこそ、多くの姑は「息子を取られた」という嫉妬にさいなまれる。これは、既婚女性であれば、誰でも多かれ少なかれ感じているはずだ。事実、この説を周囲の既婚女性に話すと、みな「そうよね」とうなずいた。離婚経験者の多くも「私もそれで苦労した」と共感した。
ただでさえ、そうなのに、「他者の欲望」を満たすことによってほめられたいとか認められたいとかいう欲望が人一倍強そうな小室さんが夫だったら、嫁姑関係は一体どうなるのか。小室さん夫妻が渡米すれば、母の佳代さんとは物理的に離れることになるので、あまり関係ないかもしれないが、子どもが生まれたら佳代さんが「臨時子守り」としてニューヨークに駆けつけるとも一部で報じられている。
そうなったら、小室さんは、妻と母、どちらの「他者の欲望」を優先して満たそうとするのか。これからも“小室劇場”から目が離せない。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
Jacques Lacan “Ecrits”Seuil 1966