いずれ間違いなく破綻する 今の「救済策」
11月20日、全国各地で暮らすカネミ油症被害者が参加するオンライン集会が開催された。今回で5回目となる同集会は、PCBを製造したカネカ高砂工業所がある兵庫県高砂市をメイン会場として、長崎県五島市、同県長崎市、東京都文京区、福岡県北九州市の5会場をZOOMシステムで結んで行なわれ、およそ90人が参加した。
この日のテーマは「救済策」だった。まず、元消費者庁事故調査室長で消費者安全問題研究会の土庫(とくら)澄子氏は、PL法(製造物責任法)が立法された背景にはカネミ油症事件があることの解説と、1973(昭和48)年に食品公害の被害者救済を目的とした旧厚生省の「食品事故による健康被害者の救済の制度化研究会」が立ち上げられ、カネミ倉庫と鐘淵化学工業(現・カネカ)が費用を負担する基金の構想が検討されたものの実現せず、現在に至るまで放置されていることを指摘。
同時期に設置された「医薬品の副作用による被害者の救済制度に関する研究会」での構想が、その後の基金設立(1974年設立の医薬品副作用被害救済基金。現在の医薬品医療機器総合機構【PMDA】)と立法(現在の独立行政法人医薬品医療機器総合機構法)につながっていることと比較し、食品公害被害者の救済策が等閑(なおざり)にされたままの現状を批判した。
続いて、高崎経済大の宇田和子准教授は、カネミ倉庫による「医療費負担」問題を俎上に上げた。被害者との合意もないままカネミ倉庫側が一方的に「わが社ができるのは(年に)1億円がぎりぎり」だとして、現状以上の医療費の請求を控えるよう被害者側に要求している事実を指摘。「要求の封じ込め」だと批判した。そして、加害企業が倒産せずに今後も存続し、被害者運動も継続し続けることを前提とした「救済策」では、そう遠くない将来に破綻してしまう恐れがあることを問題視した。
「レバ刺し禁止」に象徴される国の「芸のなさ」
被害者が救済されていない「食の事件」はカネミ油症事件の他にもある。
なかでも記憶に新しいのは10年前の2011年4月、人気焼肉店チェーン「焼肉酒家えびす」でユッケを食べた客の間で集団食中毒が発生し、全国で181人が被害に遭い、うち5人が亡くなった事件である。腸管出血性大腸菌O111による食中毒だった。
この事件では、焼肉店の経営者らが業務上過失致死傷容疑で書類送検されたものの、事件当時、食中毒の原因となった大腸菌は広く知られておらず、事件の発生を予見することはできなかったとして、嫌疑不十分で不起訴。2019年に富山検察審査会が「不起訴不当」と議決し、再び検察が捜査したものの、再び不起訴となっていた。
そのうえ、焼肉店経営者が事件後、自己破産を申請したことで、被害者への補償は、焼肉店経営会社がかけていた保険金を、治療費に応じて均等分配しただけで終わったとされる。つまり、被害者への賠償金の支払いはごく一部にとどまり、加害責任に伴うべき償いは果たされていない。
さらにこの事件により、牛肉や豚肉などの生食規制が強化され、違反した者には刑事罰も設けられた。そのあおりを食らったのが「牛のレバ刺し」である。今なお居酒屋や焼肉店ではレバ刺しの提供は認められておらず、メニューからも消えてしまった。大衆の食文化が変えられてしまったといっても過言ではあるまい。
それにしても、救済策が何もないからといって、いきなり「肉の生食の全否定」に走ってしまうのは、あまりにも芸がない。愚策でさえある。「肉の生食文化」の再興のため、そしてカネミ油症被害者のためにも、救済策の制定は急務である。こうした現状を、いつまでも放置していていいわけがない。
加害企業を助ける「基金」はある一方、食品公害被害者を助ける「基金」はない
カネミ油症オンライン集会に話を戻す。この日、高崎経済大の宇田准教授は、新たな食品公害基金の創設を提案。さらには、加害企業に十分な資力がないカネミ油症事件のようなケースで汚染者負担の原則(PPPの原則)に拘泥すると、被害の救済が十分に図られず不合理だとして、食品関連企業や事業者のすべてで被害者の救済を講じる「応責原理」に基づき、解決を図る道があることをカネミ油症被害者たちに示した。
PPPの原則に基づく加害企業の費用負担が限界を露呈したケースには、熊本水俣病や東京電力福島第一原発事故、そしてカネミ油症事件がある。どのケースでも実質的には国が補償費用の大部分を負担しており、カネミ油症事件でも、国がカネミ倉庫に政府米を優先的に預け、保管料として年に約2億円を払って医療費の原資とし、カネミ倉庫の賠償を経済的に支えている。
カネミ油症事件において責任のない国が、被害者に直接カネを支払ったり医療費を肩代わりしたりすることはできない――との理屈からだ(しかしこの仕組みによるカネミ倉庫の“粗利”は年間約1億円となる)。
一方、「応責原理」が採用されたケースには、1997年の「ナホトカ号重油流出事故」や、2006年の「石綿(アスベスト)健康被害救済基金」がある。石油会社などが拠出する「油濁補償基金」や、労働保険の加入事業者などが拠出した基金で、被害者の救済が図られている。
さらには、カネカ(旧・鐘淵化学工業)が製造販売したPCBの無害化処理でも、2001年に国や都道府県の補助金をもとに基金(PCB廃棄物処理基金)が設けられている。PPPの原則に基づけば、この処理費用はカネカなどのPCB製造企業が負担すべきものだが、実際は国に助けてもらっている。
にもかかわらず、カネミ油症被害者や食品公害事件被害者のための「基金」はない。加害企業を救う「基金」はあるのに、これではあまりにも不公平である。
企業や官庁にとっても“お得感”のある救済策
宇田氏は、既存の食品公害事件の被害者やその子どもたちにまで及ぶ健康被害、そして将来起こるかもしれない潜在的な食品公害事件の被害を包括的に救済するためには、「応責原理」に基づく新たな救済基金の制度化が必要であるとした。先に土庫氏が挙げていた、カネミ倉庫とカネカが費用を負担する基金構想を今の世に復活させるものであり、それをさらに補強するものでもある。
かつての基金構想では、カネカが同意しない限り実現は困難である。しかし、「応責原理」に基づく食品公害基金構想は、いわば損害保険みたいな基金なので、食品会社にとっても厚生労働省にとっても“お得感”がある。実現させるためには、特にこの“お得感”が大事だろう。
この基金があれば、「食品公害」事件への賠償を理由に会社が倒産・消滅することもなくなる。被害者の救済が滞ることを防ぎつつ、加害企業の従業員がいきなり路頭に迷うことも防げる。裁判で決まった賠償金が高額になり、加害企業が倒産しそうな時は、一部もしくは全額を基金が肩代わりする。企業が申請すれば、基金から被害者に直接支払われるようにするのである。その代わり、基金を利用したい会社の財務状況はすべて明らかにさせ、その後、財務状況が改善すれば回収する。そして、東芝や東京電力の救済で税金を投入したような“特別扱い”は、今後一切やめるのである。
基金を所管する厚労省にとっても、基金設立当初は税金を投入する必要があるものの、何も問題が起きなければどんどん膨らむ一方の“魔法の財布”もしくは“官製保険会社”のような基金なので、十分過ぎるほどのメリットがある。基金がしっかりと機能するようになれば、問題が起きるたびに国が責任を問われる機会も減る。さらには、事件のたびに新たな法律を作ったり、議論したりする手間が省けることで、被害のスピード救済が可能になる。
こうした視点は、国政を預かる政治家や官僚たちにこそ、必要なものだ。土庫氏と宇田氏の問題提起が、まずは国会議員たちの間で広く共有されることを期待したい。
(文=明石昇二郎/ルポライター)