1 はじめに
福生病院で腎臓病の女性の透析治療を中止したことが原因で女性が死亡した事件について病院側のミスではないかという意見が多く、話題になっています。ニュースによれば、病院側は末期段階でない女性患者に透析治療を中止するか否かの意見を聞き、これを踏まえて女性は透析中止を選択したとのことです。果たして、透析中止は患者本人の意思に従うものであるにも関わらず病院側に法的責任はあるのでしょうか。
2 透析中止は「自己決定権」の発現
本来、医者が治療行為を中止して死期を早めることは違法になり得るはずです。民事責任のみならず刑事責任にも当たるでしょう。しかし、現代において治療を中止しても法的責任に問われないのは、そもそも治療行為の中止は患者の「自己決定権」に基づく選択に従ったものだからです。
ここで「自己決定権」とは、自分の生き方等の人格的生存の不可欠な事柄に関する選択・決定を自ら行えることによって個人の自律を保障するために憲法13条に定められた幸福追求権の一つとされています。
つまり自分のライフスタイルの核となる「私的領域の決定」が憲法上人権として保障されているわけです。そして、自分がいつ死ぬかということは人の人生において核となる事柄であり、自己決定権の内容に含まれると考えられています。
したがって、医者の治療の中止行為は患者の自己決定権を発現した結果ということになります。そのため、透析中止などの死期を早める医療行為については、患者の自己決定権を尊重するために、透析中止の際は必ず本人の意思を慎重に確認する手続きとなっています。
3 自己決定のタイミング
上述のように、患者は治療を中止するか否か、自身の判断で決定することができます。問題はその決定のタイミングです。多くの患者は、圧倒的な量の医学知識を有している医師からの提案をきっかけとして決定をするのですから、実質的には、医師にその時期が支配されてしまっていることになりかねません。いくら「自己決定権」が尊重されていると言っても、これでは本当の意味で自己決定権を発現したとは言えません。
そこで、日本透析医学会の提言では、透析を見合わせるタイミングの基準として「透析を安全に施行することが困難な場合」や「患者の全身状況が極めて不良であり、透析の見合わせに関して患者の意思が明示されている場合」が掲げられています。つまり、終末期と言われる段階になって初めて医師は治療の中止という選択を示さなければならないのです。
4 医師・病院側の法的責任
ところで、病院側には、患者との準委任契約に基づく「患者を治療する」義務が課せられています。そのため、未だ回復可能性のある患者に対して治療中止の選択を迫ることは、「患者を治療する」義務を履行したとは言えないでしょう。この場合、その医師は契約上の義務を債務しなかったではなく、不法行為責任(民法709条)を問われる可能性もあります。
すなわち、終末期でないにもかかわらず透析を中止するという選択肢を患者に示したのであれば、この医師は、前述の学会の提言に従い、患者の意思を尊重し終末期ではない患者には透析治療を続ける義務があったのにも関わらずそれを怠った(過失)ということとなり得るからです。そして、この過失と患者が死亡したこととの間に因果関係があるならば、不法行為が成立することになります。さらに、刑事責任として、業務上過失致死罪(刑法211条)の成立も考えられます。
5 今回の事件について
ニュースによれば、福生病院は、別な病院で透析治療を受けていた患者が転院してきた最初の日に透析治療の中止を促し、患者はその場で中止を選択したとされています。仮に、これが事実であれば、患者の状態を完全に把握するには時間があまりにも短期間であり、時期尚早と言えます。そのため学会の提言に記された「患者の全身状況が極めて不良」状態に該当するかどうかを十分に検討しないまま、透析中止の提案をしてしまった可能性があります。
また、本件女性患者は途中で透析を再開したいと発言したとも報道されており、仮にこれも事実だとすれば、患者の意思を尊重したとは言えません。提言には、透析を見合わせることを「たとえ非開始または継続中止という判断をする場合であっても、患者の状態を観察しながら、維持血液透析の開始または再開を検討することを意味する」と記されているため、再開したいという患者の意思を尊重せず中止したままであったのであれば、意思を尊重しつつ再開の検討をしていたとは言えません。
したがって、医師の行為は患者の意思を尊重しながら身体の状態を把握して透析治療をする義務があったのにも関わらず、それを怠ったことになり過失を基礎づける可能性があります。死亡との因果関係があるとされれば不法行為責任が成立し得るかもしれません。そしてそれを承認した病院側にも債務不履行等の責任が成立し得るでしょう。このようにニュースの内容が事実であるとすれば、以上のような法的責任が考えられます。
6 今後の姿勢
本件の発端は透析治療を長引かせたくないという都合と、「患者の全身状態が極めて不良」という終末期の解釈の相違が原因ではないかと思います。透析治療中止の選択は自己決定権を行使できる場面であるという一面がある一方で、医師や病院側にタイミングが支配されているという現実が垣間見えた事件だったのではないでしょうか。
今回の事件を受けて日本透析医学会は提言の改訂を検討する意向を見せており、透析中止の時期を今より限定的に定めようとしているようです。
終末期の解釈が困難であることからこのような事件が多発することを考えれば、限定的かつ具体的なガイドラインの作成は必要です。自己決定権を尊重するためには、まずは十分な情報と状況把握の下で自己決定できる体制を整えることが大切であり、これによりはじめて本当の意味で自己決定権が保障されていると言うことができます。
(文=山岸純/弁護士法人ALG&Associates執行役員・弁護士、渡辺柚朋/早稲田大学大学院法務研究科2年生)