イタリアのローマ市内にある小国「バチカン市国」。
日本では「世界最小の独立国家」として知られているが、カトリックの総本山ということからキリスト教世界では誰もが知る存在だ。宗教への関心が低めの日本にいると、その影響力や発言力はぴんとこないかもしれないが、世界から一目置かれる国なのだ。
『バチカン大使日記』(中村芳夫著、小学館刊)そんな日本では知られていないバチカンについて、「大使」としての経験を交えて紹介する、なんとも貴重な本だ。
なぜバチカンは世界から一目置かれるのか
著者の中村芳夫氏は経団連の副会長をつとめたのち、2016年から2020年まで駐バチカン大使を務めた。経済界から外交の世界に入った異色の存在である。
バチカン市国の規模や場所からして、大使は駐イタリア大使が兼任していそうにも思えるが、日本はバチカンに専任大使を置いている。ただし、在バチカン日本大使館も大使公邸もバチカン市国の中にはなく、ローマ市内にあるのだそう。
面積でいえばこじんまりしているバチカン市国だが、その影響力は計り知れないものがある。
G7が指導力を失い、G20も機能しなくなったGゼロと言われる世界の中で、モラルリーダーとして、教皇の発言の影響力は大きい。在任中、トランプ前米大統領、プーチン露大統領、メルケル前独首相、マクロン仏大統領らがバチカンを訪問し、教皇フランシスコと会見していることはその証左といえる。(P12より)
またローマには88の国と地域が在バチカン大使館を置いている。国家としてのバチカンはそれだけ重視されているのだ。ただ、その理由が「カトリックの総本山だから」では、日本人には理解しにくい。カトリックの総本山であることは、バチカンに何をもたらしているのか。
その一つが膨大な量の情報だ。バチカンは日々、13億人をこえる信徒と世界各地に広がった教会から情報を収集している。それゆえに、バチカンは紛争や格差など世界の「現場」にもっとも通じた存在なのだ。
また、世界平和や核のない世界、貧困撲滅、人権の尊重などを掲げるバチカンは、世界の「モラルリーダー」としての説得力も兼ね備える。これは主張の背景にあるものが「国益の追求」ではなく「宗教」であるため、国や地域、個人を問わず耳を傾けやすいという側面があるのだろう。
バチカンがまとう「神秘のベール」の功罪
一方で、バチカンにも問題や課題はある。
国家としてのバチカンが抱える問題の一つが、内部の不透明性だ。たとえばバチカンの財政収支は現在公表されていない。最後に発表されたのは2015年で、この時は1240万ユーロ(約16億円)の赤字。当時はバチカン教皇庁が財政改革を推進していたため、会計事務所と契約したものの半年で契約解除となった。これは財政改革に反対する教皇庁内部の抵抗の結果だとされる。以降財政収支は発表されていない。
国家である以上ある程度の透明性は確保されるべきなのだろうが、今のところバチカンの財政は「神秘のベール」に包まれている。宗教の神秘性ということで、ある程度の不透明性を許容するかどうかは考えがわかれるところだが、隠ぺいの文化があまりにも高じると、たびたび世界的な問題になっている「聖職者による性的虐待問題のような状況を作り出し、信徒を失うことになる」と中村氏は指摘している。
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バチカンの内部とそこでの生活、そして日本との交流など、中村氏がつづる大使時代の経験は、日本人の多くは見たことも聞いたこともないものだろう。
閉ざされた秘密の場所をのぞくような一冊。知的好奇心を大いにくすぐられるはずだ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。