中国の習近平指導部が威信をかけた北京冬季五輪が2月4日に始まった。「未来に向かって一緒に」というモットーを掲げ、大会のムードを必死に盛り上げようとしているが、新型コロナウイルス感染症が暗い影を投げかけている。
五輪参加のために中国を訪問した世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は2月5日、李克強首相と会談して「科学と証拠に基づいた新型コロナウイルス感染症の起源調査についての協力を強化する必要性を話し合った」ことを明らかにした。WHOは昨年、新型コロナの感染が初めて報告された武漢市に国際専門家チームを派遣し、起源に関する調査を行った。「コウモリから中間宿主を経てヒトに感染したという仮説が有力だ」との報告をまとめたが、その後、専門家チームに対する中国側の情報提供が不十分だったことなどを理由に、第2弾の調査団派遣を受け入れるよう求めている。
テドロス氏の要請に対する中国側の回答は伝わっていないが、新型コロナの起源に関し依然として中国に疑惑の目が向けられていることは確かだ。日米欧などの科学者グループは五輪開幕前日(3日)、中国政府に対して「新型コロナのパンデミックの真相究明を妨げている」旨の抗議声明を発表した。そのなかで「中国政府は新型コロナに関する生体サンプルを破壊し、記録も隠蔽した。同国の科学者が事前承認なしに新型コロナの起源について言及できないよう箝口令を敷いている」と指摘している。
国際社会からの批判に対し、中国政府は「ゼロ・コロナ対策」で対抗している。武漢市で新型コロナが発生して以来、中国政府は「都市封鎖(ロックダウン)の実施」や「行動の追跡」といった強権的措置を講じることにより、感染者を完全になくすことを目指す対策を強力に推進してきた。
欧米で深刻なパンデミックが起きたにもかかわらず、国内での新型コロナの感染が収束した事実を奇貨として、中国政府は「新型コロナの起源は中国ではない」との主張を繰り返すようになった。ゼロ・コロナ対策は、今や中国が自らの潔白を証明する手段と化したといっても過言ではない。
中国政府はさらに「欧米よりも有効な感染対策を進めたことで新型コロナの死者を最小限にくい止めることができた」と自画自賛している。中国政府は公表している新型コロナによる死者数は4636人と圧倒的に少ない。最後に死者が報告された昨年1月下旬以降、1年以上にわたって「奇跡のゼロ」が続いているが、欧米の研究者は「この数字は虚偽ではないか」と疑っている。中国の超過死亡数(過去のデータから推定される死者数と実際の死者数の差)がパンデミックの発生以降、約80万人に上っていることから、実際の新型コロナの死者数は政府の発表よりもはるかに多い可能性が高いからだ。新型コロナの最初の感染が確認された武漢市内でも「中国全体の死者数が4000人台というのはおかしい」との声が出ている。
ゼロ・コロナ対策に固執
中国がゼロ・コロナ対策の柱に据えるロックダウンの効果についても疑義が生じている。米ジョンズホプキンズ大学が今年1月に発表した研究結果によれば、初期の疫学研究では大きなプラスの効果をもたらすとされていたロックダウンは、新型コロナの死亡率にほとんど影響を及ぼさなかったという。
これまで成功を収めてきたとされる中国のゼロ・コロナ対策にとって最大の敵はオミクロン株だろう。「オミクロン株は過去100年で最も多くの感染者を短期間で発生させる病原体だ」との認識が高まっており、新型コロナとの共生が不可避となりつつある。
だが、中国はかたくなにゼロ・コロナ対策を堅持している。中国南西部の広西チワン族自治区百色市(人口約360万人)は7日、新型コロナの大規模検査で100人近くが陽性だったことを受け、ロックダウンに踏み切った。香港でも2月に入り、新型コロナの感染者が急増しており、「すべてのコロナ感染をできるだけ早期に封じ込める」としてゼロ・コロナ対策をさらに強化しようとしている。中国は来年以降もゼロ・コロナ対策を続けるとの観測が出ているが、この対策に固執せざるを得ない事情も垣間見える。
中国の研究者チームは4日、「ゼロ・コロナ対策を実施している地域で人の移動を通常の水準に戻すと、ワクチンの接種率が高くても年間約200万人の死者が出る恐れがある」との見解を発表した。中国のワクチンの接種率は約90%と世界的に高い水準に達しているが、中国製ワクチンの感染抑制の効果が低いことから、ゼロ・コロナ対策に頼らざるを得ないのが実情なのだ。
中国でも有効性の高い海外のメッセンジャーRNAワクチンの導入が昨年検討されたが、実施直前になって取りやめになったという経緯がある。その理由は「発展途上国に数十億回分のワクチンを提供することで自国の技術力をアピールしてきた中国が外国製ワクチンを導入することになれば、自国の技術が劣っていることを認めることになってしまう」という極めて政治的なものだった。
国の面子にこだわるのは中国の常だが、実効性が低く弊害ばかりが目立ち始めたゼロ・コロナ政策を墨守していたら、国内が大混乱に陥ってしまうのは必至だ。
米著名投資家のジョージ・ソロス氏は1月31日、「オミクロン株のせいで長期にわたってゼロ・コロナ対策を続けざるを得なくなる習近平指導部は、国民の反発を買い、失脚する可能性がある」との見解を示した。北京五輪を成功させたとしても、今年秋の共産党大会で続投を狙う習氏の前には「茨の道」が待っているのではないだろうか。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)