「戦争法案」批判を安倍首相が封印?いまだ非公開の反軍演説と軽視される議会発言の自由
「えっ! まだ、公開されていなかったの?」--このニュースを見た時、驚いた。
民主党の長妻昭代表代行は、戦前の帝国議会で、当時「支那事変」と呼ばれた日中戦争を批判した斎藤隆夫(立憲民政党)の「反軍演説」など、いまだ非公開となっている議事録の公開を、衆院議院運営委員会で各党に働きかける考えを明らかにした。衆議院記録部によれば、戦前の議会で非公開となり「密封保存」されている演説は、この「反軍演説」を含めて12本あるという。戦後50年に当たる1995年に公開を検討されたが、結局「引き続き協議」とされ、今に至る。
政府批判で除名となった斎藤隆夫
戦後70年もたつというのに、いまだ戦前の非公開措置が生きているというのは驚きだ。
斎藤の「反軍演説」がなされたのは40年2月の帝国議会本会議。37年7月の盧溝橋事件以来の日中戦争(当時「支那事変」と呼ばれた)について、政府や軍を批判した。これに関しては、議事録の非公開が決まったのが夜になったため、地方に配布される早版の新聞には掲載されたことなどから、その内容を知ることはできるが、議会の正式な記録は封印されたままだ。
では、どのような内容が述べられていたのか。斎藤の自伝によれば、例えば次のような発言があった。
「いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却(かんきゃく)し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を並べ立てて(中略)国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」
「この事変が如何に処理せられ如何に解決せらるるかということは、実に我が日本帝国の興廃の岐(わか)るるところであります」
「歴代の政府は国民に向かってしきりに精神運動を始めている。精神運動は極めて大切でありまするが、精神運動だけで事変の解決はできないのである」
「外においては十万の将兵がたおれているのにかかわらず、内においてこの事変の始末をつけねばならぬところの内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼(ほひつ)の重責を誤って辞職する。内閣は辞職すれば責任は済むかもしれませぬが、事変は解決しない。護国の英霊は蘇らないのであります」
「総理大臣は、ただ私の質問に答えるばかりでなく、なお進んで積極的に支那事変処理に関するところの一切の抱負経綸を披瀝して、この議会を通して全国民の理解を求められんことを要求するのである」
痛烈な政府批判だが、今読めば、これらはいちいちもっともな指摘である。
ところが斎藤は、この演説がとがめられ、除名処分となって議員の職を解かれる。本会議で除名の可否を採決する際、3分の1近くの議員が棄権。反対票を投じたのはわずか7名だった。その後、政党政治は崩壊し、翼賛体制に移行。斎藤が危惧した通り、日本は日中戦争の処理を誤り、太平洋戦争となだれ込んでいく。
国会での自由な言論がいかに大切か。封印された議事録は、この歴史の重要な教訓を示す資料でもあろう。戦後70年の今年、こうした議事録をすべて公開するよう、各党が協力し合ってもらいたい。
安倍首相が強く反発した「戦争法案」批判
ところで、長妻氏がこの問題を持ち出したのは、自民党による野党議員の発言への修正要求がきっかけだ。
4月1日の参院予算委員会で、福島瑞穂・社民党副党首が、政府が法案化を進めている安全保障法制を「戦争法案」と呼んだことに安倍首相が強く反発。自民党が発言取り消しと修正を求めたが、福島氏がこれを拒否。自民党は譲らず、この時の議事録は、いまだに公開されずにいる【註】。
政府は、新設の「国際平和支援法案」に加え、「武力攻撃事態法改正案」、現行の「周辺事態法」の抜本的に改正する「重要影響事態安全確保法案」など、安全保障関係の法案をまとめて、今国会に提出することにしている。