「留学期間を通じて、加藤君に“友達”がいるのを一度も見たことがありません」
北京大での在学経験を持つ、元留学生の河村氏(仮名)はこう語る。同氏は加藤氏と同じ留学生寮に入居しており、キャンパスの隣人として数年間にわたり彼を眺める立場にあった。
「とにかく上昇志向が強い人でした。留学当初は現地の中国人学生と言葉を教え合う相互学習会ですとか、地味な集まりにも参加していましたが、半年ほどで一切来なくなった。代わりに日本人留学生会の会長になって、もっと政治的な人脈づくりに動くようになりました」(河村氏)
北京大学留学生寮「勺園」。
ここでの「人脈」とは、やはり文春が報じたように、中国共産党の宣伝部関係者だったようだ。ちなみに「宣伝部」とは中国共産党のイデオロギー宣伝担当部門で、中国の国内メディアの報道内容を事実上統制する立場にある。
「遅い時間に寮に帰ってきたので理由を尋ねると、『党の宣伝部から接待に招かれた』。見慣れない服を着ているので尋ねると『CCTVの女性プロデューサーに買ってもらった』と。よくそんなことを言っていました」(同)
そんな加藤氏に、他の日本人学生はどう接していたのか?
「加藤君のギラギラした姿勢を露骨に嫌う人と、媚びてすり寄る人、無関心な人の3種類がいました。でも、彼と対等な友達付き合いをした人は誰もいませんでしたね。もっとも彼の側も 『付き合ってメリットがない人間』とは口もきかないのが普通。共産党宣伝部のほかに、国際交流基金や朝日新聞の特派員など、中国に駐在する日本人の偉いオッサンたちに対しては積極的な売り込みを行っていて、先方からも可愛がられていたようですが……」(同)
河村氏が見た限り、加藤氏には日本人はもちろん、現地の中国人の友達もいなかった。さらに「韓国人留学生から総スカンを食らっていた」ともいう。当時の加藤氏は「自分を崇拝してくる人間、政治的な利用価値がある人間以外とは関わらない人だった」というのだ。
一方、中国在住の複数の日本人ビジネスマンや報道関係者からも、こんな話が聞こえてくる。
「彼に仕事で会った後の雑談で、『毎日、鏡の前で自分が格好良く見える角度を研究している』と聞いて驚いたことがあります。『友達にアドバイスしてもらわないの?』と尋ねたところ『僕には友達がいません』と。なんでも自分一人で考えを完結させてしまうタイプの人、という印象でした」
「以前、日本の報道関係者が加藤氏に取材のアテンドを頼んだ際、手際が十分ではなかったらしく、ちょっと厳しい口調で叱責したんです。そうしたら、たったそれだけのことで、当時25歳ぐらいの彼が目に涙をためて『半泣き』になった。目上の人から叱られた経験が、ほとんどないのでしょう」
友達も、自分を叱ってくれる目上の人もおらず、本人自身も他人と心の交流を築こうとしなかったらしい加藤氏。そんな彼と“友情”を育んでくれたのは、彼を「党の代弁者」として利用する意図を持っていた中国共産党の関係者と、自らにすり寄る彼の姿を見て「感心な若者」だと勘違いした、日本人の“偉いおじさん”たちだけだったようなのだ。