長野県議の丸山大輔容疑者が妻を殺害した疑いで逮捕された。長野県塩尻市の自宅兼酒造会社事務所で昨年9月29日、妻の希美さんを殺害した容疑が丸山容疑者にかけられている。しかも、当時、丸山容疑者は妻とは別の女性と交際しており、その前にも複数の女性と交際していたことが判明しているので、容疑者の不倫をめぐるトラブルが動機につながった可能性も十分考えられる。
丸山容疑者は容疑を否認しており、「当日は、長野市の議員会館に宿泊していた」と供述しているが、事件直前に容疑者のものとみられる車が長野市内から約60キロ離れた塩尻市内に移動していたことを警察は突き止めている。丸山容疑者の車と同様に後部に特徴的なへこみがある車が防犯カメラに映っており、ナンバープレートが折れ曲がった状態で走行していたのだ。Nシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)での追跡を避けようとしたのではないかと疑われても仕方ないだろう。
現時点で丸山容疑者の犯行と決めつけることはできない。ただ、丸山容疑者のものと思しき車が自宅のある塩尻市に移動していたのが事実なら、犯行当日の午前0時頃~午前6時45分頃の時間帯に「長野市の議員会館に宿泊していた」というアリバイは崩れることになる。にもかかわらず、そう主張し、車のナンバープレートが折れ曲がった状態で走行するという手のこんだ“偽装工作”のようなことをしたのは一体なぜなのか。
まず、自己保身のためと考えられる。自分を守りたいという自己保身願望は防衛本能に由来し、誰にでもあるが、失うものが大きいほど強くなる。丸山容疑者は、明治時代から続く酒蔵「 笑亀(しょうき )酒造」の御曹司で、慶應大学卒業後、社長を務めており、地元の名士だった。そのうえ、自民党県議として現在2期目であり、来春に実施される予定の県議選への出馬を表明していた。高学歴のうえ、容姿にも恵まれているので、もしかしたら国政進出も視野に入れていたかもしれない。
妻殺害の容疑をかけられ、さらに逮捕・起訴という事態になれば、自分が手にしている富も地位も名誉もすべて失いかねない。だからこそ、喪失不安が強くなり、わが身を守るために手のこんだことをしたのではないか。
しかも、「自分は賢い」という過信もあったように見える。この過信ゆえに、車のナンバープレートが折れ曲がった状態で走行すれば、Nシステムに追跡されずにすみ、アリバイを成立させられると考えた可能性は十分考えられる。しかし、実際には、車が防犯カメラに映っていたのだから、丸山容疑者は自身の頭脳を過大評価していたのだろう。
「ゲミュートローゼ」の可能性
見逃せないのは、昨年の事件以降丸山容疑者がしばしばメディアに登場し、“悲劇”の夫を演じていたことだ。今年9月末には、長野放送のインタービュー取材で次のように答えている。
「(犯人は)何かしら自分がやってしまったことに対する罪悪感みたいなのがあるでしょうから早く出てきて自分から出てきてくれればそれにこしたことはないな、何かどっかで罰でも当たればいいな」
こういう言葉をしらっと吐けることに驚く。これまでの警察の捜査を踏まえると、丸山容疑者に罪悪感、あるいは良心の呵責はないのかと首を傾げたくなる。
もしかしたら、丸山容疑者は、罪悪感や良心の呵責が欠如した「ゲミュートローゼ」かもしれない。「ゲミュート」とは、罪悪感や良心の呵責、思いやりや羞恥心などの高等感情を指すドイツ語であり、この「ゲミュート」を持たない人を、ドイツの精神科医クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ」と名づけた。日本語では、「情性欠如者」と訳される。
「ゲミュートローゼ」が罪悪感を覚えないのは、異常に意志が強いからだ。鋼鉄のごとき意志の持ち主であり、屍を越えて進むこともいとわない。だから、意志と罪悪感が衝突すると、必ず意志のほうが勝つ。葛藤にさいなまれて思い悩むことがないので、本人は目標に向かってひたすら突き進む。当然、政治家や実業家、作家や芸術家などの社会的成功者にも「ゲミュートローゼ」は少なくない。
世間的に見れば成功者である丸山容疑者も、「ゲミュートローゼ」の1人ではないかと疑わずにはいられない。
(文=片田珠美/精神科医)