安倍晋三元総理が銃撃され死亡した事件で、現行犯逮捕された山上徹也容疑者の母親は奈良地検の聞き取りに対し「事件で旧統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)が批判され迷惑をかけ申し訳ない」と話しているという。
山上容疑者は「母親の入信で家庭がめちゃくちゃになった」と供述し、旧統一教会への強い恨みを語っている。実際、母親が旧統一教会に献金した総額は約1億円に上り、その結果破産に追い込まれたようだ。それでもなお母親が旧統一教会を批判せず、それどころか謝罪するのは一体なぜなのか。
次の3つの理由が考えられる。
1)ほれこみ
2)旧統一教会が「疑似家族」化
3)不安と恐怖
まず、山上容疑者の母親はいまだに「目が覚めていない」「洗脳が解けていない」状態のように見えるが、これはフロイトが「ほれこみ」と呼んだ状態に近い。
「ほれこみ」とは、フロイトによれば、相手の過大評価と理想化、無批判と隷属が認められる状態である。つまり、相手を実際以上に高く評価して理想的な人物だと勘違いし、批判力を失って「あばたもえくぼ」の状態に陥り、言いなりになるのが「ほれこみ」だ。このような特徴が認められるという点で「ほれこみ」と催眠は共通しており、「ほれこみ」では恋愛対象を、催眠では催眠術師を理想化するとフロイトは述べている。山上容疑者の母親は旧統一教会を理想化し、批判力を失っているのではないか。
また、山上容疑者の母親にとって旧統一教会が「疑似家族」のようになっている可能性も考えられる。母親は、山上容疑者が4歳の頃に夫(山上容疑者の父親)を自殺で失い、山上容疑者が高校3年生のときに父親(山上容疑者の祖父)を失っている。しかも、7年ほど前には、長男(山上容疑者の兄)も自殺している。おまけに、親戚にも旧統一教会への献金を依頼したせいで、次第に疎遠になったとも聞く。
頼るべき家族を失い、親戚とのつきあいもなくなる中で母親が不安と孤独感を募らせたことは想像に難くない。そういう状況では、どうしても自分が信仰している宗教の信者との人間関係が濃密になりやすい。悩みを抱える信者同士がつらさや苦しみを互いに打ち明けたり、旧統一教会独特の価値観を共有したりすれば、連帯感と安心感が生まれるだろう。その結果、旧統一教会が母親にとって「疑似家族」の役割を果たすようになったことは十分考えられる。
さらに、恐怖から旧統一教会を批判することができなくなっている可能性もある。山上容疑者の母親は「亡くなった夫の霊を慰めないといけない」という理由で多額の献金を繰り返していたらしいが、霊や因縁などの話を持ち出すのは旧統一教会の常套手段のようだ。
宗教社会学者の櫻井義秀・北海道大学大学院教授によれば、旧統一教会が教育用に用いていた「家系の不思議」というビデオでは、次のような内容が語られていたという。
①善因善果悪因悪果の応報的宿命観――不幸には先祖の因縁があるとされ、因縁転換の方法へと話が進む。
②縦横の法則――先祖の因縁(縦の原因)は兄弟姉妹(横の結果)にまで及ぶ。
③悪因縁の形成原因――五つあるとされ、1・離婚、再婚、2・庶子、3・同棲、4・初婚男性と連れ子のまま再婚、5・別居である。(『霊と金-スピリチュアル・ビジネスの構造』)
こういう内容を刷り込まれていたら、これまで家族の不幸に見舞われることが多かっただけに、山上容疑者の母親が不安と恐怖を募らせたとしても不思議ではない。実際、旧統一教会の元信者の方がテレビに出演して、脱会後も「地獄への恐怖」があると話していた。山上容疑者の母親はいまだに現役の信者のようなので、同様の恐怖から旧統一教会を批判することができないのではないだろうか。
「宗教依存症」の可能性も
山上容疑者の母親が「宗教依存症」に陥っている可能性も否定できない。「宗教依存症」とは、何かのきっかけで宗教にのめり込み、その宗教を繰り返し勉強し宗教行事に参加し続けることで、宗教自体が必要不可欠になってしまった状態を指す。
問題は、宗教活動を何よりも優先させるようになって、自分が仕事や学業、普段の日常生活に支障をきたしていることに気づかなくなってしまうことだ。山上容疑者は海上自衛隊に在籍していた2005年に自殺未遂騒動を起こしているが、そのときも母親は旧統一教会の本部がある韓国にいて、伯父(自殺した父親の兄)が連絡しても、帰ってこなかったという。
こういう状態が続いていたとすれば、母親は「宗教依存症」の可能性が高い。厄介なことに、なかには巧妙に「宗教依存症」の状態に導こうとする宗教団体も存在する。そういう宗教団体は、不幸に見舞われ、弱っていて、不安と孤独感を抱えている人をターゲットにすることが多い。
山上容疑者の動機形成の一因として旧統一教会への恨みが大きな部分を占めているのであれば、フランスの「反セクト法」のような法律をつくることも必要かもしれない。「反セクト法」は2001年5月30日に成立した。この法律ではセクトを「信者の心理的、身体的依存状態をつくりだし、利用する団体」と定義しており、詐欺行為や不法医療行為などによって有罪となった場合は、大審裁判所が解散させることも可能になった。
「反セクト法」によりフランスでは、旧統一協会、サイエントロジー、エホバの証人などがセクトとして取り扱われている。ちなみに、サイエントロジーは、アメリカの俳優、トム・クルーズが入信しており、事実上のナンバー2になっている教団である。
今回の事件を契機に、宗教の問題について真剣に考え、より踏み込んだ対策を検討するべきではないだろうか。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
櫻井義秀『霊と金-スピリチュアル・ビジネスの構造』新潮新書、2009年
ジークムント・フロイト「集団心理学と自我の分析」(小此木啓吾訳『フロイト著作集第六巻』人文書院 1970年)