お寿司というと、真っ白な酢飯に新鮮な魚が乗ったものをイメージしませんか? 実はこの見た目になったのは、長い寿司の歴史の中ではごく最近のことなのだそうです。
『読む寿司 オイシイ話108ネタ』(文藝春秋刊)は、著者の河原一久さんが150冊に及ぶ参考文献を読み込み、全国を飛び回って職人に話を聞いた「お寿司研究」の集大成です。
本書によれば、第二次世界大戦までは赤酢を使ったシャリ、いわゆる“赤シャリ”が江戸前寿司の定番だったそう。
その赤シャリが姿を消した要因として、まずは生産に年月を要する赤酢が終戦直後の日本では供給しづらかったことが挙げられます。
さらに追い打ちをかけたのが、「黄変米事件」です。
終戦後、日本は深刻な米不足に陥り、配給制になりました。この事態を、政府は米を米国から大量に輸入することでしのぎました。
ところが昭和27年1月、この輸入米の中に、人体に有害なカビが繁殖したことで黄色に変色した米、いわゆる黄変米が見つかってしまいます。その量なんと約2000トン。たちまち大騒ぎになりました。
寿司に使われる赤シャリは、もちろん問題がない米です。
しかし、茶色がかった赤シャリの見た目は、米に敏感になっていた当時の人々にとって不安を与える色でした。そして、店にクレームをつける客たちによって、店は色が付かない米酢の使用を余儀なくされてしまったそうです。
しかし、米酢を使った場合、赤酢と同様のコクや甘味はでません。そこで、酢飯を作る際、米酢とともに砂糖をまぜるという現在の手法が生まれました。一方で、砂糖による意図的な甘味を嫌い、酢と塩だけにこだわったシャリを提供する店もあります。メーカーからは、米酢のような薄い色合いの赤酢(粕酢)も開発されました。最近では昔ながらの赤シャリが食べられる店も増えてきているようです。
一度は消えた赤シャリ。その結果、店によって個性豊かなシャリが楽しめるようになったと河原さんはいいます。本書は他にも「寿司屋の修行に10年は本当に必要なのか?」や、「関東大震災で起きた物資不足が寿司ネタの幅を広げた」など、寿司にまつわる興味深い話が満載です。読んだあと、あなたは必ずお寿司が食べたくなるでしょう。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。