27335社。
これは、帝国データバンクが2014年に行なった「長寿企業の実態調査」により判明した、日本国内の「創業100年以上」の企業数です。2014年の倒産企業の平均寿命が23.5年であること(※1)を考えると、この数を多いと感じるかもしれません。
しかし、もちろん企業が100年存続するのは並大抵のことではありません。『美しい街をつくりたい 100年続く企業と続かない企業の分岐点』(ダイヤモンド社刊)で取り上げられている「株式会社大本組」はオフィスビルやマンションなどを数多く手がける中堅ゼネコン。2016年で創業109年目を迎える長寿企業です。
一世紀を超える歴史の過程には、会社を揺るがしかねない危機が幾度も訪れたはず。大本組はそれらをどのように乗り切ってきたのでしょうか。
■創業以来、最大のピンチを乗り切れた要因とは?
創業105年目を迎えた2011年、大本組はこれまでの社史にはなかった「営業赤字」の危機に陥ります。引き金となったのは2008年のリーマンショックでした。世界的な経済不況の影響で工事発注件数が減少したことはもちろん、原油価格が高騰したことにより、材料費や輸送費などが軒並み上昇し、同社の経営を圧迫しはじめたのです。
そして2010年、追い打ちをかけるように、記憶に新しい「事業仕分け」によって公共事業が削減され、2011年には東日本大震災でさらに受注数が激減しました。この時の受注高の落ち込みは、大本組始まって以来のものだったといいます。本書の著者である大本万平氏が三代目社長に就任したのはちょうどこの年でした。
この危機的状況を乗り越えることができた要因は、何だったのでしょうか。注目したいのは、創業以来、同社が「堅実経営」をモットーとしてきたこと。大本氏によれば、同社は一貫して「身の丈に合わない無謀な投機などには縁がない」堅実な経営を行なってきました。
その堅実さは財務内容に表れています。売上高・上位の「スーパーゼネコン」五社の自己資本比率が軒並み20%であるのに対し、大本組は先代から、おおむね50%を維持してきたといいます。
企業にとって自己資本比率とは、いざというときにどれだけ持ちこたえられるかを示す「基礎体力」。つまりこの数字が高いということは、それだけ危機に強いと言えます。
大本氏が本書のなかで認めているように、大本組が危機を脱し、2015年に過去最高益を達成することができたのは、4年間にわたって絶えずサービスの改善を行ってきたことはもちろん、景気回復という社会的要因にも影響されてのことでした。そう考えると「逆風が吹き止むまで耐え忍ぶ」ことができるだけの企業体力を蓄えていたからこそ、同社は危機を乗り越えることができたといえるのではないでしょうか。そして、そのような体力を下支えしていたのが「堅実経営」だったのです。
■創業者の「手痛い失敗」
ではなぜ、同社はこれほどに堅実経営を貫けたのでしょうか。この疑問を解く上でヒントになり得るのが、大本組の創業者である大本百松の存在です。