著:森崎歳章/ダイヤモンド社
企業にとって基幹事業から撤退するということは、その会社の根幹を揺るがす大きな出来事だ。しかし、世の中には「ニーズ」というものがあり、その移り変わりは速い。そして、「ニーズ」がなくなってしまった事業は赤字を積み上げるだけになってしまう。会社の歴史が長ければ長くなるほど、そうした事態に陥ってしまうことがあるだろう。
兵庫県神戸市に本社を置く神栄株式会社は1887年創業の老舗の貿易・製造会社だ。現在の主力事業は衣料・食品の輸入と、センサーやコンデンサーの製造である。
しかし、元々の主力事業は製糸事業であった。
明治・大正・昭和と日本が近代化を辿る中で、生糸は輸出品目の中心として外貨獲得の主役を演じてきた。神栄が製糸事業を始めたのは1928年のことで、もともとは神戸における生糸問屋業をけん引する存在であったのだ。
ところが、その製糸事業も次第に陰りを見せ始める。日本近代化においては花形産業であった蚕糸業だが、技術革新が発達し、特に第二次大戦後はナイロンをはじめとした合成繊維が爆発的に普及。さらに日本人の着物離れも進み、「地すべりのような衰退」に見舞われることになる。
さらに、1973年にはオイルショックという決定的な事件が起き、神栄は大幅赤字に陥ることになる。そこで1981年4月に、製糸事業から撤退する方針を決定、1982年7月の取締役会でその年の10月をめどに撤退を最終決定する。
それまでずっと主力であった製糸事業。このアイデンティティともいえる事業からの撤退は、社員たちを動揺させた。
しかし、製糸事業に発展の見込みがあるかというと、とても縦に首を振れる状況ではないこともみんな察している。おそらく神栄にとって、これは最大の「危機」ともいえる瞬間だっただろう。
しかし、企業にとって現状維持は衰退の始まりともいえることだ。役目を終えた事業は切り離し、新たな時代に適応できる事業構造へと変革すべき必要がある。
会社が長く続くためには、ターニングポイントが来たときに、方向転換の意志決定を素早く行うことが要求される。そこで経営者にとって大切なことは、「事業を残す」のではなく、「会社を残す」決断するということにほかならないのだ。
その一方で、痛みも伴う。事業転換しても、全ての従業員を新事業で吸収できるわけではない。普通ならば、ここで会社側と労働組合側で何かしらの抗争が生まれるが、神栄の場合は違った。人事と労働組合が一致団結し、次の就職斡旋のために次の就職先の斡旋活動を行い、経営者もできる限りの救済措置を講じたという。
合理化をしながら、最後まで自社の人員の面倒を見る。19世紀から21世紀という3世紀にわたって存続してきた神栄という企業の真髄を、歴史を紐解きながら現在の社長が自ら明かす『三世紀企業の魂』(森崎歳章/著、ダイヤモンド社/刊)は、企業が存続していくためには何が必要かを教えてくれる一冊だ。
今、注目を集めている企業といえば、比較的若いIT企業か、もしくは電化製品メーカーなどの大手花形企業だろう。しかし、それらの企業が100年後も存続していると思えるだろうか? そして今と同じ業態で存続していると思うだろうか?
神栄は1887年に創業後、125年間にわたって続いてきた。こうした幾多の危機を乗り越えながら三世紀にわたり存在感を示してきた企業に学ぶことは多いのではないだろうか。
(文=新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。
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