日本人は、古来より神様とともに生きてきました。
現代は科学が発展し、原理原則が解明されているものも多いですが、昔から偉大なもの、不思議なもの、人間にとって重要なものには神様が宿っていると思われていました。だから人の命を支える自然には、とくに敬意を示し生きてきたのです。
例えば、ご飯をたべるときにお米一粒も残してはいけないと、家や学校で教わったと思います。その大元には「お米一粒の中に七人の神様がいる」という食べ物全般を非常に大切なものと考える、昔からの教えがあります。
心の豊かさを取り戻し、より善く生きるために必要なもの、それはすべて「神様からのいただきもの」であると感謝の心です。 たかがお米一粒かもしれませんが、どんなものにも感謝の気持ちを忘れず、大切に思う心が、いまでも知らず知らずのうちに、私たち日本人の身近なところに溶け込んでいるのです。
そのように神様とともに暮らし、感謝をして生きてきた日本人の心からうまれたのが、「神道」です。
『日本人が大切にしてきた 神様に愛される生き方』(アスコム刊)の著者で、出雲大社紫野協会の神主でもある中島隆弘さんは、神道にこそ、心豊かに暮らすヒントがたくさん詰まっていると教えてくれます。
■「おみくじは、持ち帰るのが良し」
みなさんはなぜ、神社に足を運びますか?
初詣や、何か大切なことがある前に訪れ、お願いごとをしたり、将来への不安や悩みを抱え、神頼みをしてみたり。おみくじをひくのを、楽しみに神社へ訪れる人も多くいらっしゃるかと思います。
ご存知のとおり、おみくじには良いことも厳しいことも書かれています。でも、自分に都合の良いところばかりを読んではいませんか。
そもそもおみくじは重要な判断を必要とするとき、神様のご意志を伺うために使われていたと言います。だから「神様からのお言葉」でもあるおみくじを、悪い結果といって神社に置いてくることはとてももったいないことで、時より眺め自分の戒めとして持っておくことが大切だと、中島さんは言います。
一方で、神社には感謝を表しに行く場所であり、お願いごとはしない、という立派な心をお持ちの人もいるでしょう。
しかし、神頼みは、何も悪いことではありません。
日本人が古来より五穀豊穣を願ってきたように、いまでも家内安全や病気平癒など、どうしても自分の手には負えないことは存在します。だから出来る限りの努力をした結果、最後の神頼みをすることは、人間に備わったごく自然な行動なのではないでしょうか。
もし、人生に迷ったり、未来が不安に思えたりしたときは、神様に「お守りください」とお願いしましょう。神様がいつでも自分を見てくれていると思えば、それだけで心強くなるはずです。
もちろん神様に感謝をすることを、決して忘れてはいけません。今も昔も、心豊かに人生を歩むためには、感謝をして生きていく気持ちが大切です。
時間に追われ、人同士のつながりが希薄になっているどこか貧しい現代だからこそ、普段意識していない神道の教えをいま一度見直し、日本人の心に根付いている清い心で暮らしてみてはいかかでしょうか。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。