「殺人犯の子供は雇えない…」死刑囚を父に持つ青年の残酷な実像と、揺れる複雑な思い
(日本テレビ HPより)
今回の番組:NNNドキュメント(日テレ)『死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ』
人を嫌ったり、批判するのは簡単だ。何か一つでも欠点を見つけ、そこを軸にしてすべてを否定・攻撃するだけでいい。「あいつは○○だから」と最後に付け加えれば、それで多くの人が納得をしてくれる。
『死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ』(日本テレビ)を見ながら彼が遭遇したであろう、そんな声を想像した。
大山寛人さんは自転車に乗り、名古屋の風俗街を自転車で走っている。25歳になる彼は何度も面接を受け、職を探してきたが、雇う店はなかった。やっと見つけたのは、この街の風俗店。ディレクターが画面に見切れつつ、自転車を押して歩く彼と並び、そんな話を聞いている。寄り添おう、という意思を感じる映像だった。
「人殺しの息子は雇えないという会社が多くて……」と彼は答えるが、きっと何度もこの話をしてきたんだろうな、と想像できた。寛人さんの父は2000年に妻(寛人さんの母)を殺した。その2年前には父自身の義父(寛人さんの祖父)も殺害していた。共に保険金殺人。死刑が確定している。そう、彼は死刑囚の父を持ち、その父に母が殺されているという、想像するだけで苦しくなるような極限状態に置かれているのだ。
寛人さんの腕には、何本もの自傷行為の跡が残っている。
自らの境遇を、どれだけ呪ったことだろう。母を想うたびに父を恨まざるを得ない。しかし、自分を育てた肉親でもある。「一生かかっても許すことはできない。だけど死んではほしくない」と。
番組は、父と息子の手紙のやり取りを軸に構成されている。手紙を読むと、丁寧な字で書かれた文面から、心の動きや優しさが実に伝わってくる。「母の遺品を預かってほしい」と父から書かれた手紙が届いた時、寛人さんは「ちょっと(撮影を)止めてもらってもいいですか」と言うほどに興奮を隠せなかった。「お母さんの身に着けていたものが、やっと手に入るんだな」と涙を流すが、それは父の心情の変化を長い年月をかけて感じ取った喜びでもあったのではないか。
母の遺品であるノートには、当時流行していた動物占いや、寛人さんの誕生日に付けられた星のマークが記されていた。13年を経て手にした母の直筆。「たかが手帳だし、たかがノートかもしれないけど、やっぱうれしいですね。ただ、送ってくれたのが、(母を)殺害した父さんなので……」と、戸惑いを隠せない。彼の言葉は喜びと同時に憤りも発しなければならない。常に引き裂かれるような矛盾を抱えている。「でも」「ただ」といった否定の意味を含めた接続詞を、これまでも、これからも発しなければいけないのだろう。
番組は、その戸惑いの間をできるだけ生かし、映像の編集をしないで僕らに聞かせる。僕は見ていて、彼の言葉を待つのがつらかった。それでも聞かなきゃいけない、とも思った。そんな息苦しいタイミングで何度もインサートされるのは、寛人さんの母の写真。彼はこんな苦しい時にこそ、母の顔を思い出しているのだろうか。
彼は父の死刑を望んでいない。それは、母に対して新たな想いを抱くことでもあった。
「死刑というのは、被害者遺族の処罰感情が大きな点じゃないかと思うんです。死刑を望まない僕を、お母さんは悲しんでいるかもしれない。だけど、それを聞くことはもうできない」
寛人さんは父を助けたいという思いと、母への罪悪感の間で揺れている。明確な答えを彼一人で出すことはできない。だから「こういう意見も聞いてほしい」と大学の講演で訴える。言葉を選びながら、ゆっくりと、かみしめるかのように。殺人事件のうち、親族間殺人の占める割合は52%らしい。僕は「そんなに多いのか」と思った。そうすると、寛人さんのようなケースも少なくないのではないか。
安倍晋三政権になってから、死刑が執行される割合も多くなったそうだ。死刑執行は、当日の朝に告知される。事前に知らされることはない。親子が交わす手紙は、死刑囚の生死を確認するすべでもあるのだ。
寛人さんは、父と面会した後は必ず母の墓に寄り、手を合わせる。そして、殺害された現場の防波堤を訪れる。その道筋は、自らの厳しい境遇を確認するかのように思えた。彼は「罪を背負っていくしかない」とカメラに向かって語る。「父の刑が執行された時はつらいだろうけど、その現実を受け止めて、それも背負って前に進んでいきますよ」と。
僕は父の罪を息子までも背負う必要はない、と思う。しかし、そんな意見もテレビを前にしているから言えるのだと気づき、恥ずかしくなった。寛人さんが『死刑囚の子』として社会と関わった13年間の全てが、わずか30分弱のドキュメンタリー番組で理解できるはずがない。だから僕は「分かる」とか「許せない」と簡単に口にはできない。
この番組では確かに死刑制度を問うてきたが、答えを描くことを選択してはいない。だからこそ、彼が何度も悩んだ挙げ句に選んだであろう「こういう意見も聞いてほしい」という言葉が、重かった。唯一、彼が社会に対し、望むことだったから。そして番組は、それに応えていた。
(文=松江哲明/映画監督)
●松江哲明(まつえ・てつあき)
1977年、東京都生まれ。映画監督。99年に在日コリアンである自身の家族を撮った『あんにょんキムチ』でデビュー。ほかの作品に『童貞。 をプロデュース』(07年)、『あんにょん由美香』(09年)など。また『ライブテープ』(09)は、第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門で作品賞。