厚生労働省の調査では、65歳以上で「日常生活自立度Ⅱ」(日常生活に支障をきたす症状や行動が見られても、誰かが注意すれば自立できるレベル)の認知症高齢者数は、2010年に280万人だったが、15年に345万人、20年に410万人、25年には470万人に達する。65歳以上人口に対する比率は、10年の9.5%に対して25年には12.8%に拡大する。
これを受けて、厚労省は昨年9月に「認知症施策推進5か年計画」(オレンジプラン)を発表し、今年4月から実施に入っている。計画は、
(1)標準的な認知症ケアパスの作成・普及
(2)早期診断・早期対応
(3)地域での生活を支える医療サービスの構築
(4)地域での生活を支える介護サービスの構築
(5)地域での日常生活・家族の支援の強化
など7つの視点で作成された。この7つのうち、地域での支援強化に3項目を割いていることから明らかなように、在宅による有病者サポートが施策の目玉である。ところが、高齢者世帯には独居世帯や高齢者のみ世帯が多く、退院後に自宅での生活が困難なケースが急増中だ。
この問題を補おうとする施策のひとつが、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)である。2011年、それまでの高齢者住宅だった高齢者円滑入居賃貸住宅(高円賃)、高齢者専用賃貸住宅(高専賃)、高齢者向け優良賃貸住宅(高優賃)の3つがサ高住に一本化された。サ高住はバリアフリーの構造で、安否確認と生活相談などのサービスが付く。
所管する国土交通省は20年までに全国60万戸を建設する計画で、建設費の10分の1、改修費の3分の1の補助金を支給することから、社会福祉法人や医療法人、介護事業会社のほかに異業種からの参入ラッシュが続き、今年1月にはすでに10万戸を突破している。
サ高住には、土地オーナーが建設して、介護業者に運営を委託するサブリース方式もクローズアップされ、都内に複数のオフィスビルを所有する不動産管理会社の社長は「銀行から『運営委託先を紹介するから、今のビルをサ高住に改装しないか』と持ちかけられた」と話す。黒田東彦・日銀新総裁の金融緩和策次第では、ちょっとした“サ高住バブル”になる勢いだ。
態勢整わないサ高住
ところが、医療や介護の専門家の評価は必ずしも芳しくない。この3月22日に開かれた厚労省の老人保健健康増進等事業「認知症の人の精神科入院医療と在宅支援のあり方に関する研究会」(以下、研究会)で、全国老人福祉施設協議会の鴻江圭子副会長は「老人施設の入居者の80~90%は認知症」と説明した上で、「サ高住に重度の認知症患者が入居しようとしたら断られた例もあり、まだ態勢が整っていない」と指摘した。
同様に、日本医師会の三上裕司常任理事もサ高住の限界を取り上げた。
「認知症の入居者が夜中(注:日中は介護福祉士など専門スタッフが常駐)に1人で部屋にいて本当に大丈夫なのだろうか? また、認知症の人はなじみの環境で暮らすことが大切だが、サ高住は、自宅でない所で暮らすことで、なじみでない環境での生活になってしまう。なじみの環境を提供するには、グループホームと小規模多機能型居宅介護の強化が必要だ」
サ高住の評価が問われてくるのはこれからだが、認知症への対応力強化が求められるだろう。
深まる医療現場と厚労省の対立
さらに認知症対策では、精神科病院への入院医療も深刻な問題になっている。だが、厚労省と医療現場の認識に大きな乖離があることが、研究会で明らかになった。厚労省の原勝則老健局長は、研究会の目的に「精神科病院に入院が必要な状態増の明確化」があることに触れ、こう問題提起した。
「普通、入院の基準は医療の専門家が考えるものだが、認知症に関しては、わざわざ研究会を開かざるを得ないほど基準が単純ではない。医療の専門家が出す結論だけで、認知症対策が具体的に進むだろうか?」
この発言に、すかさず日本精神科病院協会の山崎学会長が反発したのだ。
「精神科病院では医師が診察をして入院が必要かどうかを判断しているのに、政府の文書に“入院基準がない”と書かれてあることは理解できない」
入院日数も俎上に載せられた。厚労省が調査した「認知症入院期間の国際比較」によると、入院期間は米国6.1日、イングランド72.2日、オランダ19日、スウェーデン13.4日、デンマーク7.8日などに対して、日本はアルツハイマー病による認知症で349.8日、血管性などによる認知症で251.5日。驚くような差が開いているのだ。精神科病院は、入院期間短縮化の時流に逆行しているのだろうか?
「国際比較は恣意的なデータで、厚労省が出すのは大きな問題である」
またしても、山崎会長が不快感を示したのだった。
「欧米では認知症患者は病院に入院せず、専門の施設に入って治療を受けている。ドイツでは山奥にあるリゾートホテルを改装した施設に入る。デンマークでは居住系の施設で治療していて、その数は日本の3〜4倍もある。そうした事実を踏まえないのは恣意的なデータだ」
研究会に厚労省からは原局長のほかに、老健局の関山昌人認知症施策総合調整官、社会・擁護局障害保健福祉部の重藤和弘精神・障害保健課長など10人近くが出席していたが、山崎会長への反論は出なかった。
このデータからは、医療費抑制に向けた入院期間短縮化に精神科病院が逆行していると読めてしまう。全国在宅療養支援診療所連絡会の新田國夫会長は「日本では退院しても帰れる場所がないから入院しているのだろう」と入院期間が長期化する背景を述べた。
議論の前提となるデータの欠陥が明らかなことに対して、研究会座長の国立長寿医療研究センターの大島伸一総長も厳しく糾弾した。
「データの信頼性が乏しいことは大きな問題だ。データをきちんと取ることは専門家の責任であり、その責任を果たさなければ専門家を名乗る資格はない」
政府が不都合な真実を隠蔽して、関心の矛先を変えてしまうのは、お決まりのパターンだ。しかし、いまや認知症対策は待ったなしの状況に追い込まれている。研究会は医療・介護関連の主要な団体代表者など12人の委員で構成され、5〜7回の討議を経て13年度内に報告が出される予定だ。厚労省の思惑に影響されず、医療・介護の現場視点で、ぜひとも有効な施策が報告されることを期待したい。
(文=編集部)