NEW

舛添「ケ知事」でも刑事責任問われない理由…政治資金を何にでも使える日本の政治家

【この記事のキーワード】

, ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
政治資金流用疑惑で辞職願を提出した舛添都知事(「ロイター/アフロ」より)
 舛添要一・東京都知事が辞任した。週刊誌が、公用車での湯河原別荘通いを報じてから、舛添氏は毎週金曜日の定例記者会見でフルボッコの状態だった。当初は静観していた都議会でも徐々にヒートアップし、ついには今月公示予定の参議院選挙への影響も懸念されるようになり、都議会の自民・公明両党が都知事不信任に転じて万事休すとなった。


 ただし、問題を冷静に見ると、都知事時代の公用車での別荘通いや頻繁な美術館通い、正月のホテルでの家族旅行やチャイナ服購入など国会議員時代の政治資金の私的流用は、どれも法律に違反することではない。しかし、公私混同として問題視され、それが都民の怒りを買ったというわけだ。

 客観的に舛添氏の仕事を見れば、2020年東京五輪の施設費圧縮、非正規社員の正社員化への国を上回る対策、障害者雇用などは評価できる。前任の猪瀬氏の場合と同様に仕事ぶりはよかったが、仕事以外のカネの部分でケチをつけた格好だ。舛添氏が都知事ならぬ「ケ知事」といわれ、都民から蔑まれる対象になってしまったのは残念である。

 スクープした週刊誌の「週刊文春」(文藝春秋)はよしとして、新聞・テレビはただの後追いであり、視聴率が取れるとわかると連日バッシングを続けたが、ちょっと度が過ぎていたようだ。池に落ちた子犬が溺れ死ぬまで見ている感じだった。記者会見で「どうしたら辞めるのか」という質問をした記者に、マスコミの本質を見た感じだ。

政治資金規正法は、なぜザル法なのか


 今回の舛添問題で政治資金規正法が注目されているが、同法については「ザル法」だとよく指摘されている。なぜザル法と呼ばれるのか、法律がつくられた背景、制度をどのように改正すべきか、こうしたことを論じたマスコミはほとんどいなかった。

 同法が成立したのは、戦後の1948年7月。その内容は、政党その他政治団体に収支報告を義務付け、寄付の制限を設け、報告書を公開するというものだった。それまで野放しだった政治資金に一定のルールができた。当時、折から「昭電疑獄」が社会問題化して、その摘発もあって同法は国民の期待を集めたが、当時からザル法といわれていた。そもそも、法律名も「規正」であって「規制」ではない。「規正」は正すのであって何が正しいのかは曖昧で、政治資金を制限する「規制」でない。