ミキハウス、ゼロから世界トップブランドへの「無私の経営」…五輪選手を多数輩出の理由
ミキハウスは、類まれなる企業である。子供服とベビー服に特化し、品質とサービスに徹底的にこだわり、高いブランド力を備え、グローバル展開する。こんな企業は、世界にもほかに例がない。
そのミキハウスは、今年8月に開幕するリオデジャネイロ五輪において、ミキハウススポーツクラブに所属する選手のなかから、競泳、シンクロナイズドスイミング、飛込、アーチェリー、カヌー、テコンドー、柔道、テニスの8種目に、過去最多となる17人を送り出す。これほどの数のオリンピック選手を輩出する企業もまた、ほかに例がない。
ミキハウスは同スポーツクラブの所属選手に、一般社員として給与を支給し、さらに活動経費を負担する。卓球場や柔道場など練習環境の整備に加え、選手によっては栄養士をつけるなど、選手が競技に専念できるよう全面的にサポートするのだ。さらに、所属選手がメダルを獲得すれば、競技とメダルの色によっては最高5000万円の“賞与”を支給する。
ミキハウスの経営と、スポーツ支援の共通点は何か。創業社長の木村皓一氏は、企業と社員のあいだの信頼関係を重んじる。選手も同じである。人間を信頼し任せることが、その人に最大限の能力を発揮させるカギだと考える。木村氏に、その哲学を聞いた。
スポーツ支援の理由
片山 ミキハウスは、長年スポーツ支援を続けてこられましたが、そのきっかけを教えてください。
木村 うちは、1971年に創業してしばらくは女房とパートの女性の計4人でした。5年ほど経ったころ、大卒者を5人採用したんです。そのとき、「責任重大や」と思いました。5人が胸を張って名刺を出せる会社にしたいと思ったんですね。「会社は、たくさん儲ければええ」ではなく、「社員が誇りを持てるような会社にせないかん」と。
それで、社会貢献が必要やと考えた。それをせんことには、胸を張って語れる企業文化がつくれないと思うんですよ。何かしたいと考えていたときに、たまたま縁があって、大阪市内の車椅子バスケットボールチームに出会った。そこに、車椅子の寄付を始めました。一台30万円くらいのものを、多い年には50台、20年以上続けました。
片山 広告ではないといって、匿名を貫いたそうですよね。
木村 社会貢献ですからね。広告したくてやってるのとは違いますから。交通事故などで脊椎損傷を受けて車椅子生活になった人に、夢を持ってもらいたいという思いがあったんです。