ミキハウス、ゼロから世界トップブランドへの「無私の経営」…五輪選手を多数輩出の理由
片山 オリンピックにおいても、選手を広告塔にしないことには、一家言をお持ちですね。「がんばっている人を応援したい」という木村さんの真っすぐな思いは、広告にすると伝わらなくなると。
木村 若い人が具体的な夢を持って努力をするのは素晴らしいことです。その努力に対して企業がすべきことは、経済的なバックアップだと思っています。夢を持つことの素晴らしさを、今の若い人たちに伝えたい。
ただ、オリンピックは華やかですけど、ほかのところでも、「え? これミキハウスがやっていたの?」と、ふと気づかれるようなことがたくさんできたらいいなと思っています。結果、「あの会社がなくなったら困る」といわれる会社にしたいですね。
“無私”の経営者
片山 木村さんとは長い付き合いですが、私は木村さんのような“無私”の経営者をほかに知りません。92年に開設した自由学校「きのくに子どもの村学園」の開校も支援されましたよね。
スポーツでは、女子ソフトボール、そしてまだオリンピック種目ではなかった女子柔道や、マイナーだった女子卓球を応援し、小学2年生で練習環境を求めていた福原愛さんも献身的にサポートした。ロンドンでメダルを獲得して注目が集まったアーチェリーも、90年代から長く支援されていた。
木村 マイナー競技は、学校を卒業したあとに練習環境を失うことが多いんです。メジャーな競技は、いろんな企業が応援するから、いいんですよ。マイナー競技の選手ほど、支援がなくて困っているんです。
片山 過去には、前人未踏の五輪柔道三連覇を成し遂げた野村忠宏選手も応援された。
木村 野村君は、アトランタ五輪で金メダルを獲得したあと、負傷もあって引き取り手がいなくてね。彼の実家の近くにうちの物流センターがあったから、「よかったらうちにきたら」っていうたんですよ。
当時は、ホントにメダル獲ったんかというほど、彼は弱かったですよ。でも、実力はあるからシドニーでも金を獲った。偶然では獲られへんからね、ほんまに強いんやろね。その後、本人は「金2個とったから、もうええわ」という雰囲気になってたから、「ちょっと、英語勉強してきたら」とアメリカへ行かせた。柔道やってられへん環境に放り込んだら、柔道したくなるんちゃうかなと思って。戻ってきたら、やっぱりやり出した。
片山 柔道を続けるだろうということは、木村さんには、わかっていたんですか。
木村 わかってた。あのまま日本に置いてたら、引退してたんちゃうかな。