要するに、天皇陛下のお気持ちやそれに共鳴する国民の思いを抑え込もうとしている首相官邸が、有識者会議という提灯を掲げて、議論を一定方向に誘導しようとしているのではないか--。「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」がまとめた「論点整理」という書面を読んで、あらためてそんな思いを強くした。
「とりあえず負担を軽減してさしあげればいい」のか?
この書面では、退位に関するプラス面マイナス面を列挙してあるが、特に、皇室典範を改正して将来の天皇も対象とする制度改正にすることついては、消極的な意見が数多く、そして長々と並べられている。政府は、今の陛下一代に限って退位を認める特例法を検討していると伝えられているが、有識者会議がそれを後押ししている格好だ。
会議のメンバーは政府が選んだ。有識者会議で意見を披瀝(ひれき)した専門家たちも、事務局、すなわち政府の側が選定。しかも、こうした書面の原案は、事務局、つまり政府の側が作る。となれば、このような方向になるのは、目に見えていた。しかし、これでは天皇陛下のお気持ちのみならず、国民の多くが陛下のおことばを聞いて感じたところからも乖離しているのではないか。
そもそも、天皇陛下が提起され、多くの国民が共鳴した問題は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。「論点整理」を読んでも、そこには「象徴天皇のあり方」をめぐる議論の痕跡はない。議事録に代わる「議事概要」に目を通しても、ほとんど話題になっていない。
それどころか、誰かはわからないが、委員からはこんな発言もあった。
「恐らく国民はとりあえず負担を軽減してさしあげればいいと思っている」(第7回)
果たしてそうか。
昨年8月に天皇陛下がビデオメッセージを公表された後、さまざまな世論調査で、9割を超える人々が「退位を認めてよい」と答えたのは、ひとつに「陛下はもう十分にお務めになった」「もう重荷を解放してあげたい」という思いもあるだろう。けれど、決して負担軽減だけに人々の関心があるわけではないはずだ。陛下の思いに共鳴したからこそ、6、7割の人たちが将来にわたる制度設計を期待したのではないか。
“忘れられた被災地”に心を寄せ続けた両陛下
そもそも陛下は、「年を取ってくたびれたから、もう天皇をやめて休みたい」と言われたわけではない。陛下がビデオメッセージで国民に直接語られたおことばのテーマは、「象徴天皇のあり方」だった。
その前半には、こんな文章があった。
<即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています>
そして、具体的には「国民の安寧と幸せを祈る」だけでなく、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切」にし、「自らのありように深く心し」「常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる」努力を続けられた。