現憲法下の象徴天皇のあり方は、今後の天皇によって少しずつ変わるかもしれないが、はるか昔のように、御簾の内に隠れ、国民の目に見えない存在に逆戻りすることは考えられない。今上陛下が大事にされた「国民と共にある象徴天皇」像に、今後の天皇の個性が色づけされていくのだろう。
陛下は、昨夏のメッセージを次のような言葉で締めくくられている。
<これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています>
ここに込められているのは、自分一代ではなく、次代、次次代、さらにその先も、天皇が国民と共にあり、象徴としての役割を果たしていってほしいという思いだろう。
この永続性への願いこそが陛下のおことばのキモであり、そこを漠然と感じ取ったからこそ、国民の多くが、将来にもわたる制度設計を求めたように思う。
陛下と国民の間とは、このように一定の意思疎通ができているのに、政府と有識者会議はそれとは別の方向を向いているのではないか。
今年に入って、「2019年の元日に皇太子殿下が即位する」という報道がずいぶんと出回った。政府関係者が情報をメディアに情報提供し、報道を通じて既成事実化させようという意図があったのだろう。
それに対して、宮内庁の西村泰彦次長が記者会見で、元日にはさまざまな儀式・行事があって、この日に譲位、即位を行うのは難しいという見解を述べた。聞けばなるほど、もっともな話だ。官邸側は、そういう事情すら聞かないまま、ずんずんと官邸側の意向でコトを進めようとしているのではないか。
西村次長は、天皇陛下のおことば表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、当時の長官を事実上更迭し、次長を昇格させる人事を行った際に、後任次長として送り込まれた人物だ。そんな西村次長ですら「寝耳に水」とこぼすほど、官邸は宮内庁との意思疎通を欠いたまま、“我が道”を行こうとしているように見える。
本当に心配だ。
安倍首相は、この「論点整理」を衆参正副議長に渡し、国会での議論を促した、という。その議論が、単に官邸の意向にお墨付きを与えるだけのものにならないよう、願ってやまない。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)