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話題の一冊レビュー

『仁義なき戦い』モデルの元ヤクザ・美能幸三は、本当は映画化を望んでいなかった?

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※画像:『仁義なき戦いの“真実” 美能幸三 遺した言葉』(鈴木義昭/サイゾー)

 1973年に公開され、社会現象を巻き起こした日本映画の金字塔『仁義なき戦い』シリーズ。近年でも、菅原文太(2014年没)や松方弘樹(2017年没)の訃報を伝えるニュースにおいて、今から40年以上も前の同シリーズが、彼らの代表作として繰り返し紹介されたのは記憶に新しい。だが、公開から長い年月がたつにつれて、このシリーズが戦後の広島県で実際に起きた暴力団同士の抗争をモデルにしていることを知らない世代も増えている。

 本書『仁義なき戦いの“真実” 美能幸三 遺した言葉』(鈴木義昭/サイゾー)は、後に広島抗争と呼ばれた抗争劇の真相を、その中心人物となった元暴力団員・美能幸三の手記とインタビューで解き明かす一冊。美能は2010年に83歳でこの世を去ったが、著者は生前の彼のもとを何度も訪ねて聞き取りを重ねていたという。

 美能は中学生の頃から非行を繰り返し、ついには人を傷つけて警察に捕まってしまう。警察が保釈の条件として出したのは、軍隊に志願することだった。戦争が終わって外地から復員した彼は、いつしかヤクザと関わっていく。戦後の混乱期は警察に今ほどの力がなく、各地の任侠団体が社会の秩序維持に大きな役割を果たしていた時代。軍隊にはひとつも良い思い出がないと美能は語るが、深層心理では軍隊的な組織や規律を求めていたのかもしれない。

 やがて彼は親分にそそのかされ、敵対する組の組長を銃撃してしまう。組長は一命をとりとめたが、美能は逮捕され懲役8年の刑を受ける。裁判では親分が証人として呼ばれ、被告人を知っているかとの問いに「うちの若い者だ」と答える。美能は親分の指示であることを隠すため、「こんな人は知らない」とシラを切るが、その配慮がわからない親分は法廷で激高。「この恩知らずが」と吐き捨てたという。美能は後に、ヤクザとしての心構えをこう語った。「どんな親分でも、ひとたび神輿として担いだ親分は親分である」。

 彼が獄中にいる間に、地元の新聞記者たちによって広島抗争の真相を書いたとする著作が世に送り出される。「ある勇気の記録」と銘打ったこの本は菊池寛賞を受賞したが、その内容を知った美能は愕然とする。抗争の原因はすべて自分にあるとされ、事実とは異なる見方で卑怯者に描かれていたからだ。

 一連の抗争では20人以上の命が失われたが、何事もそれまでの流れというものがあり、一部分だけを切り取るのはおかしい。自分の罪は認めるが、「関わった人だれもがそれぞれの立場で罪の意識を背負う責任があるのではないだろうか」--そう考えた美能は、獄中で抗争に関する詳細な手記を書き始めた。これが後に、『仁義なき戦い』シリーズの原案になったのである。

 出所後ヤクザを辞めた美能は、手記の映画化を了承。出演していた役者たちとも交流を持っていた。だが、公開から30年たったある日、彼は衝撃の言葉を著者に語る。「ワシは本当に、しとうなかったんや、映画にはのう」。今さら言うか、と突っ込みたくなるところではあるが、美能には美能なりの理由があった。シリーズの監督を務めた深作欣二も、美能が映画を気に入っていないことはわかっていたという。気になるその理由は、ぜひ本書を手にして確かめてほしい。
(文=編集部)

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