秘書暴行の豊田真由子議員、秘書は「4年半で100人辞めた」「死んじゃう…」と永田町では悪評
国会議員秘書歴20年以上の神澤志万です。
「このハゲーーーーー!」ですっかりおなじみになってしまった豊田真由子衆議院議員ですが、実は永田町では、豊田事務所は以前から「秘書たちが就職したくない事務所ナンバー1」でした。
2012年の当選から4年半で辞めた秘書は100人を超えるといわれ、本当に生活費に困るくらい困窮した秘書が、最後にドアを叩く事務所といわれていたのです。そのため、もはや“ネタ”と化していました。
「就職活動しているんだけど、どこか公設秘書の枠が空いている事務所があったら教えて」
「豊田事務所があるじゃん(笑)」
「えーーーー! やめてーーーー! 死んじゃうよ」
というやり取りを、神澤も何度かしたものです。
理不尽に怒鳴る議員は珍しくない?
豊田議員について、河村建夫元官房長官が「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃ済まない」とフォローして問題になりましたが、実際、理不尽に怒鳴るだけの議員であれば、ほかにも大勢います。
神澤も、「このハゲー!」「違うだろー!」という録音の音声を耳にしたときには、「なんか、なつかしいな」と思いました。自分の新人時代やアホな議員の下で働いた時期を思い出し、「自分にも、怒鳴られてばかりのつらい時期があったな」と昔を振り返ったのです。もはや、感覚がマヒしていますね。
しかし、今回の豊田議員の件は暴行も伝えられており、論外です。「事件」といっても過言ではありません。一方で、豊田議員をかばうわけではありませんが、「週刊新潮」(新潮社)に告発した秘書の方は支持者あてのバースデーカードの宛先とカードのお名前を間違えたそうですが、このミスは言語道断です。
議員が支持者のお名前を間違えたら、「もう投票しないぞ!」と叱られてしまうのが当然です。そのため、秘書たちも、そのあたりは非常に気を使います。それにもかかわらず、「47通も間違えていたなんて秘書失格」というのが永田町の人たちの意見です。
そもそも、ほかに行くところがないような人しか雇えない豊田議員も、自分の人望のなさや日頃の行いの悪さを是正すべきでした。
「生きてますよ……」と力なく笑う女性秘書
少し前に、神澤の秘書仲間が豊田事務所の公設秘書になったことがありました。彼女も長い不遇の時期があり、やっと見つけた就職先だったのです。私たちは、「再就職祝いの会」を企画して日程を調整しようとしましたが、どうしても彼女の時間がつくれずに話は流れました。
飲み会に行ける時間には帰れないようで、たまに廊下で会っても「生きてますよ……」と力なく笑うだけ。そこで、少しでも気持ちが明るくなればと、秘書仲間で彼女のことを「特派員」と呼ぶことにしました。そして、豊田議員の強烈なエピソードを秘書仲間に報告してもらうのです。
それ以来、廊下ですれ違うときなど「特派員、どうですか最近は?」「この間は、こんなことが……。おかしいですよね」などと話していました。
「相談に乗る」というとおこがましいのですが、そうやって彼女の不満や悩みを私たちが視聴者のように振る舞って聞いてあげることで、彼女の気持ちを少しでも軽くできたら、と思っていたのです。
会議に遅刻や早退ばかり、慰労の言葉はなし
豊田議員は、いろいろな議員立法のチームに所属していましたが、議員仲間の評判も最悪でした。ときには、ほぼ徹夜で法制局の職員が立法作業を行ってくれるのですが、その作業チームの会議の場で、豊田議員は一度も職員を慰労する言葉を発したことはありませんでした。「やって当然!」という態度なのです。
そして、条文化する作業の前の打ち合わせでは意見を発言すべきなのに、メンバーの議員たちが汗を流す会議には遅刻や早退ばかり。途中10分だけ参加、というときもありました。ほかの議員たちも、豊田議員が発言を始めるとスマートフォンを見たり隣の人と小声で話をしたりと、真剣に耳を傾けている様子はありませんでした。
豊田議員は、そんな自分がないがしろにされているような雰囲気にも、相当いらだっていました。そして、いつも1人で会議に来ていました。通常、会議には秘書が随行したり本人が欠席のときは秘書が代理出席したりしますが、豊田議員の秘書が立法作業チームの会議に代理で来ていたことはありませんでした。
それについて、作業チームでは「きっと、『秘書に自分の代理が務まるか』って思っているんだろうね」と話題になったことがありました。
今回の報道で、豊田議員が1974年生まれの42歳ということを知って驚きました。貫禄は神澤よりもずっとあるので、かなり年上の方だと思って接していたからです。
それに、お子さんがいらっしゃることにも驚きました。以前、金子恵美議員ら女性議員数人が、委員会終了後にエレベーターホールで子育て談義をしていたことがあったのですが、そばにいた豊田議員がその話題に乗ってこなかったので、てっきりお子さんはいないと思っていたからです。まぁ、それより「豊田議員に関心がなかった」というのが年齢や家族構成を知らなかった一番の理由なのですが……。
辞職勧告しない自民党…永田町のずれた常識
それにしても、今回の件で永田町が抱える問題が一気に噴出しました。
そもそも、これは豊田議員の危機管理能力のなさが招いた自業自得の問題です。自動車を運転中の秘書を殴るなんて、事故が起きれば自分自身の生命にも危険が及ぶのに、我を忘れてしまったのでしょうか。いずれにしても、まともな状態ではないと思います。現在は入院中と報じられていますが、復帰できるのでしょうか。
なぜ、秘書に怪我をさせてしまった時点で反省して、態度をあらためられなかったのでしょうか。日頃から、秘書を人間として見ていないツケが回ったといわれても仕方ありません。
それに、自民党の危機管理もなっていませんでした。こんな暴力沙汰は、事件が発覚した時点ですぐに辞職を迫るべきでした。本人が辞職しなかったとしても、先に自民党側から辞職勧告をする。それが、国民から支持される政党の姿だと思います。これも、永田町の常識が世間とずれている典型的な例といえるでしょう。
また、豊田議員の行為は確かに問題ですが、連日の報道にも苦言を呈したいと思います。東京都議会議員選挙の直前に離党届を提出したとはいえ、「(元)自民党の国会議員」の悪評の垂れ流しを続けるのはフェアではないと思うからです。
そして、最後に、今回告発を行った秘書の方に。今までも、コロコロと何度も事務所を変わっていますよね。いくら政策秘書の資格を持っていたとしても、今回で秘書業は最後になるでしょう。
自分のボスを、このようなかたちで告発したのですから、あなたの居場所はもう永田町にはありません。それに、豊田事務所に勤務していた期間が1年未満なので、休業補償も受けられません。これからの仕事をどうやって見つけるのだろう、と老婆心ながら心配しています。
(文=神澤志万/国会議員秘書)