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片山修「ずだぶくろ経営論」

NASAも認めた、社員たった100人のグローバル企業…米国シェア5割の商品も

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家
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NASAも認めた、社員たった100人のグローバル企業…米国シェア5割の商品もの画像1三鷹光器社長の中村勝重氏

 典型的なオンリー・ワンの中小企業である。

 創業51年、従業員100人足らずの三鷹光器は、もともと天体望遠鏡や人工衛星搭載用の測定機器メーカーだった。その卓越した天文技術を生かして、医療、産業用機器、太陽熱発電などの最先端分野にも進出するなど、世界でも他の追随を許さない特異な技術を誇る。

 年間売上高は約30億円で、収益の柱は1988年に進出した医療機器、なかでも手術用顕微鏡だ。「医療分野をやるからには、もっとも難易度の高い脳の分野に挑戦しようと考えました」と、三鷹光器社長の中村勝重氏は語る。脳外科手術は0.1ミリ単位の繊細さが求められ、しかも時間との闘いだ。ところが、手術に用いられる顕微鏡は、手術中に動かすと、見るべき箇所を見失ったりピントがずれたりして、合わせ直すのに時間がかかるという課題があった。

「設計図は、現場にあり」を信条とする中村氏は、手術用顕微鏡の開発に先立ち、「現場を見せてほしい」と、脳外科医に頼み込んだ。手術室の端の不潔区域に8時間立ちっぱなしで脳外科手術に立ち会い、現場の様子をつぶさに観察した。

 その結果、生まれたのが「手術用顕微鏡スペースポインターシグナスFM‐2」だ。中村氏は平行四辺形の原理を応用し、顕微鏡を自在に動かしても焦点を逃がさない仕組みをつくった。その際、ポイントになったのは、天文機器には欠かせないオートフォーカスの技術を応用し、動かしてもピントがずれないようにしたことだ。

 三鷹光器は、1990年に独光学機器メーカー大手ライカ(当時ウイルド・ライツ)と提携した。94年には、全体の形状も変えた。機器本体は執刀医の背後に置き、アームが頭上から下りてきて、手元で顕微鏡を操作する仕掛けにした。これならば、手術中も機器が医師やスタッフの邪魔にならず、医師は手元スペースを十分に確保できる。この「OHスタンド」は、現場から高く評価された。そのアイデアは、まさしく現場観察から生まれたものだ。

 さらに、2004年には最大倍率50倍という超高倍率の高解像度手術顕微鏡「MM50/YOH」を開発した。これにより、従来の10分の1、約0.05ミリの血管の吻合が可能になった。現在、後継機種の「MM51」の最大倍率は77倍である。

 ライカマイクロシステムズ社とは、いまも提携し、複数の手術用顕微鏡を供給している。ちなみに、米国における脳神経外科分野の手術用顕微鏡のシェアは、いまや5割を超える。「ライカからは、提携解消の話はありません。次々とアイデアを出し、それを実現する力を保有するわが社を、敵に回したくないんでしょうね」と、中村氏は笑うのだ。

 医療の進歩への貢献は、手術用顕微鏡にとどまらない。早稲田大学などと共同で、皮膚がんの一つ「メラノーマ(悪性黒色腫)」の早期診断に役立つ装置を開発した。メラノーマは、死亡率が高いことに加え、初期診断が難しいことが知られる。不用意な生体検査が転移につながるという指摘もある。かりに、生体検査をすることなく、初期段階で確実にメラノーマを見分けることができれば、死亡率の大幅な低下が期待できる。しかし、その方法は確立されていなかった。

「ある教授から、メラノーマの発症や転移には、光が関係しているようだと聞きました。そのとき、光のスペクトル(分光)分析が使えないかとひらめいたんですね」(中村氏)

 天体観測技術は、19世紀にスペクトル分析を導入したことにより飛躍的に向上した。例えば、天体の光を分析すれば、含まれる原子や分子の割合、温度、圧力などがわかる。さらに、天体が移動する速度も正確に測定できる。中村氏は、この天体技術の応用を考えたのだ。

「宇宙では、衛星に搭載された観測装置で星のスペクトルを測定し、情報を信号として地上に送信します。医療にもその技術を使えると考えたんですね」(同)

 簡単にいえば、病変した部位をスペクトル分析する。がん化した細胞は不均等なため、色形や性質、状態の不規則性が特徴だ。目視で確認するには限界があるが、スペクトル分析によって詳細な数値を調べれば、正確に診断できるというわけだ。

 その教授とタッグを組んで、2015年に装置の開発にこぎ着けた。現在は臨床研究の段階だが、実用化すれば、1分以内という短時間かつ正確に、患者の負担なくメラノーマかどうかを診断できるようになる。

革新力の秘密

 三鷹光器の革新力の秘密は、その歴史にある。三鷹光器は1966年、中村勝重氏の兄に当たる義一氏によって設立された。義一氏は戦中、国民学校高等科(現在の中学校に相当)時代に学徒動員で飛行機の翼や機体、エンジンの補修などを担当した。14歳で終戦を迎えたが、戦後の混乱と困窮のなかにあって、進学はしなかった。義一氏は17歳のとき、国立天文台で天体望遠鏡のメンテナンスなどを手掛ける技術者として働き始める。

 義一氏は1960年に三鷹光器の前身の三鷹光機製作所を設立し、望遠鏡やカメラ、測定機器などの天文機器の開発を手掛ける。義一氏は、弟の勝重氏のモノづくりの腕と才能を見込み、会社に迎え入れた。

 三鷹光器は、ロケットに搭載するオゾン検出器によってオゾンホールの解明に貢献したほか、東京大学宇宙航空研究所のバルーン観測では太陽観測装置をつくった。また、国立天文台の日食用実験装置を手掛けた。

 83年には、NASA(アメリカ航空宇宙局)のスペースシャトル・コロンビア号に搭載する人工オーロラ観測用に特殊カメラを開発した。宇宙空間では、マイナス50度以下という超低温から100度以上の高温まで、過酷な環境下で正確に動く機器が求められる。課題となったのは、金属製のシャフトや軸受けの温度差による膨張・縮小に、いかに対応するかだ。他社は、ヒーターをつけてシャフトを温める案などを持ちこんだが、長時間宇宙空間を飛行するにあたって、電力の確保に課題があった。

 勝重氏の案は、簡潔かつ画期的だった。

「シャフトと軸受けを、円錐形にしたんです。温まって膨らむと、シャフトは下に沈んでくる。冷えて収縮するとせり上がる。円錐ですから、膨らんでも縮んでも、中心の軸がずれることはありません」(同)

 NASAは、これを採用した。円錐形を使う案は、決して大学で習うような難しい話ではない。しかし、何もない状態、すなわち「無」からそれを考え出し、実現する力は、簡単に真似できるものではない。

 その後も三鷹光器は、「おおぞら」「すいせい」「ぎんが」など、毎年のように人工衛星や彗星探査機に搭載する観測機器を手掛けた。2007年の観測衛星「かぐや」に搭載された超高層大気プラズマイメージャーとプラズマ観測装置も開発した。

 医療機器が軌道に乗った後、勝重氏が社長に就任したのは、1994年である。96年には、宇宙関連の機器の光学技術を応用し、医療分野に続いて、産業用機器にも参入した。代表例が、半導体産業などに用いられる非接触三次元測定装置だ。ナノレベルで製造される半導体は、不良品を見分けるのが難しい。しかし、天文機器の新星を発見するための技術を応用し、半導体の集積回路の欠陥を簡単に発見する方法を考え出した。

 新星を探すときには、数年前の星の配置の写真と、同じ構図の最新の写真を、高速で交互にスクリーンに映して比較する。すると、既存の星は静止して見えるが、新生は点滅して見える。同様に、半導体の集積回路について、標準の回路と製造した回路を交互にスクリーンに映し出すと、欠陥がある場合、その箇所が点滅して確認できる。これを製品化したのだ。

他社とのコラボレーションにも意欲的

 中村氏が、いま熱い視線を注ぐのは、太陽追尾型集光装置による太陽エネルギーの利用だ。ヘリオスタット(日光を反射して一定の方向に送る鏡)によって太陽光を集め、その熱を利用するシステムだ。2002年以降、三鷹市の国立天文台、長野県諏訪郡富士見町、宮崎大学などに実験装置や発電装置を設置し、研究開発を行った。

「マグネシウムを水や酸素と反応させて、発電する研究が進んでいます。反応が済んだ酸化マグネシウムを、太陽熱によって還元し、マグネシウムに戻せれば、また燃料として発電できる。実際に実験装置を使って、約1100度の高温によってマグネシウムへの還元に成功しました。完全なクリーンエネルギーが実現できます」と、中村氏はいう。

 太陽熱発電に取り組む企業は世界にも複数あるが、三鷹光器のシステムは特徴がある。一つは、ヘリオスタットの精度だ。自社技術によって平面の凹凸は0.008ミリ以下にとどめ、反射率95%を誇る。太陽を追尾するシステムも、他社がコンピュータ制御なのに対し、太陽観測用望遠鏡の技術を応用して光電センサーで集光の具合を確認し、ずれていればヘリオスタットにつけた小型モーターで微修正する単純な仕組みにした。

 今後は、価値観を共有できる他社とのコラボレーション、オープンイノベーションも視野に入れるという。独自技術のパテントを持つ強みを生かし、新しい価値を創造できる技術や企業が見つかれば、進んで手を組んでいく方針だ。

「無からものを考え出す」力

 では、なぜ三鷹光器は、次々とこのような画期的な製品を開発することができるのか。企業理念というべき「無からものを考え出す」力があるからだ。「技術とは関係なく、現場が困っていることをいかに解決するかが大切なんですね。もし自分が医師や看護師だったらこうしたい、こうしてほしい、と考えるわけです」と、中村氏はいう。

 では、「無からものを考え出す」力を発揮するためには、何が必要か。中村氏は、「見ること」が重要だと説く。それが、モノづくりの基本だというのだ。

「つまり、『よく見ること、また見ること、さらに見ること』です。話を聞くのは1割。資料を見たり読んだりするのも1割。残りの8割は、目で見ることなんです」(同)

 彼自身、幼い頃、先生は自然であり、遊びだった。父が揃えていたカンナやノミなど大工道具を遊びのなかで使いながら、創意工夫を繰り返した。兄の仕事を見て学び、何が重要で、どこがポイントなのかを身につけていった。それが、「無からものを考え出す」力を養った。彼のモノづくりの力の源泉だ。

 その意味で、三鷹光器はユニークな一風変わった採用試験を行っている。ペーパーテストに加え、模型飛行機の製作、電球のデッサン、さらに焼き魚を食べさせる試験を長く行ってきた。模型飛行機をつくらせれば、手先の器用さがわかる。電球をデッサンさせれば、モノの観察力がわかる。

「一緒に食事をするだけで、いろいろなことがわかります。箸の持ち方や魚の食べ方から、両親に愛されて育ったかどうか、神経質かどうかなどの性格もわかります」(同)

 つまるところ、「無からものを考え出す」力や素質を備える人材であるかどうかを、見定めるための試験なのだ。

「私はこれまで、『よく見なさい』と言ってきましたが、人間の目には限界がある。これからは、『違った目で見なさい』と言っているところです」(同)

 そう語る中村氏の挑戦は、とどまるところを知らない。趣味の絵を描く隠居生活は、まだ先になりそうだ。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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