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神戸山口組中核組織「山健組」、ついに5代目体制へ移行…人事や欠席者をめぐる非公式文書も出回る

文=沖田臥竜/作家
神戸山口組中核組織「山健組」、ついに5代目体制へ移行…人事や欠席者をめぐる非公式文書も出回るの画像113年にわたり山健組のトップに君臨してきた井上邦雄組長(写真中央)

 5月16日、業界関係者の間で噂になっていたことが、ついに現実のものとなった。

 この日、兵庫県神戸市花隈にある神戸山口組中核組織「山健組」の本部事務所には、早朝より山健組直参組長らが集結していた。さらに、報道関係者や警戒にあたる捜査関係者が事務所周辺に多く詰めかけるなか、午前7時30分ごろには神戸山口組直系組長らも集まってきていた。

 ここ最近でいえば、神戸山口組直系組長がこれほど多く山健組に集まるのは、実に珍しいことだったはずだ。直系組長らが集まる必要がある場合は、神戸市二宮にある神戸山口組事務所を利用していることが多かった。だが、この日は山健組本部に集まる必要性があったのだ。

 早朝より結集する山健組直参組長、詰めかける報道陣、その後、駆けつけた神戸山口組の直系親分衆……。そう、この日は、山健組が四代目・井上邦雄組長から五代目・中田浩司組長へと代替わりの継承盃を挙行したのである。

 代替わりの噂が業界関係者の間で流れ始めてから根強く囁かれ続けたのが、中田組長体制への移行を機に、多数の組長の引退や移籍があるのではないかということだ。それは、5月5日に開かれた山健組の会合に、出席可能な組長がほぼ顔を揃え、組織内の融和的な雰囲気が漏れ伝わってきてからも囁かれ続けていたのだ。だが、それは杞憂でしかなかったことがこの日に証明された。

「確かに、引退した幹部はいたと聞いている。だが、騒ぎ立てるようなレベルのことかといえば、そうではない。山健組に限らず、どこの組織の代替わりでも、それを節目として、高齢を理由に引退する幹部はいるし、さまざまな理由からカタギになる幹部がいるものだ。そうした通例と比較しても、山健組の代替わりは、スムーズに行われたといえるのではないか」(捜査関係者)

 ほかの複数の関係者の話を踏まえても、噂にあったような多数の組長の引退や移籍はなかったといえそうだ。

 午前10時40分を回った頃には、神戸山口組直参組長らが山健組を後にする姿を報道陣にも目撃されているが、その頃には業界関係者の間に「五代目山健組」と記された人事表が出回り始めていたという。そこには、五代目山健組の幹部の名前や肩書がずらりと並んでリスト化されているのだが、それについて、ある幹部はこう話す。

「出回った人事表は、あたかも公式のもののように拡散されてしまったが、執行部以外の第三者が、なんらかの資料を見ながら作成したものではないかという話だ。肩書などはおおむね合っているとも聞くが、誰がどのような意図をもって作成したものかはわからない」

 この人事表以外にも「山健組代替わり盃欠席者」と書かれ、複数の舎弟頭や舎弟が継承盃の義を欠席していたことを示す文章も出回っていたのだが、地元記者は「これは、ほぼデタラメ」と話している。

「欠席者として名前が書かれていた幹部の姿は、現場で目撃されています。それまで取り沙汰された噂を基に作成されたものではないでしょうか」(地元記者)

 人事表に欠席者リスト。SNSの普及により、これらが偽書であってもすぐさま関係者の間に拡散されてしまうが、そういった文章が出回ること自体、山健組という組織が他団体に与える影響が大きいことを表しているのではないだろうか。

 約13年続いた四代目・井上組長体制が、五代目・中田組長体制へと移行された。新体制がスタートし、否が応でも神戸山口組内の士気も高まっていくとみられている。

(文=沖田臥竜/作家)

●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新小説『忘れな草』が発売中。

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