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一度“挫折した”経営者の登用、なぜ相次ぐのか 他社の経営中枢で失敗経験をフル活用

文=長田貴仁/神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー、岡山商科大学教授
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一度“挫折した”経営者の登用、なぜ相次ぐのか 他社の経営中枢で失敗経験をフル活用の画像1シャープ本社ビル(「Wikipedia」より/Otsu4)
シャープは同族経営」。こう聞くと、驚く人は少なくない。近年、経営危機に陥って以降、この同族経営というコーポレートガバナンスに起因する「悪しき企業体質」が同社を瀕死の状態に追い込んだ、とする論調がマスコミを中心に目立つようになってきた。同族企業=悪しき企業体質、という因果関係が本当に正しいか否かについては議論の余地があるが、本稿ではこの議論はさておき、同族経営と関わりのあった片山幹雄・元社長の転身について言及したい。

 ファミリービジネスであっても男性が後継することが当たり前だった昭和において、息子を持たなかったシャープ創業者の早川徳次氏にとって世襲は不可能に近かった。早川氏には、大番頭の佐伯旭氏が経営における「養子」と思えたのではないだろうか。倒産の危機にさらされた戦後のドッジ不況の頃から金庫番として早川氏と苦楽をともにしてきた佐伯氏を、当然のように後継指名した。ここから「見えざる同族企業」の歴史が始まる。

 実は、姓が違う後継社長は、5代目の片山氏に至るまで、血こそつながっていないが佐伯氏と広義の「同族関係」にある。辻晴雄氏(3代目)は佐伯氏と姻戚。また、町田勝彦氏(4代目)の前夫人(故人)は佐伯氏の娘。もっとも、町田氏の場合、前妻は中学校時代の幼なじみで、京都大学農学部時代に偶然にも再会して恋愛結婚する。その後、町田氏は牛乳メーカーから転職し、シャープに入社した。経営危機に陥ってからは町田氏の責任論が浮上してきたが、「液晶のシャープ」と呼ばれるようになり、業績が順調に推移していた頃は「うちは、経営者に恵まれています」とシャープの社員は口を揃えるように言っていた。

 2007年4月に49歳の若さで社長に就任した片山氏は、技術畑出身のサラリーマン経営者(専門経営者)である。東京大学工学部を卒業後、同社に入社して以来、太陽電池、そして液晶の技術者、責任者として歩んできた。

 父が佐伯氏と親交があったのが一つのきっかけとなり入社した経緯がある片山氏は、入社試験の面接の時、「入社したら何がしたいですか」という質問に対して、工学部出身であるから技術系の仕事について発言すると思いきや、「経営がしたい」と答えている。本人の希望通り「将来の社長」が約束されていたわけではないが、候補の一人であったことは否めない。

「経営者にとって最も重要な資質は何か」と聞くと、社長だった頃の町田氏は「予見力」と答えた。そして、自ら優れた予見に基づきイノベーションを起こした。一般的にイノベーションは「技術革新」と訳されることが多いが、企業においては事業システムそのものを変え、大きな利益を生み出す意思決定と行動を指す。町田氏の予見力により、日本の家電量販店では、「アクオス」コーナーができたことに加えて「これまでになかったこと」が起こった。シャープのテレビがソニーより高い値段で売られるようになったのだ。液晶テレビが大ヒットし、シャープの売上高は01年度から20年度まで、6年間で1.9倍に急拡大し、3兆円を突破した。

●異例の若さでの社長就任と退任

 ところが、08年度から急落する。10年度に盛り返したものの、11年度にはまた下がった。結局、08年度から11年度までの3年間で3割減った。

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