オウム真理教の急拡大に「寄与」した日本のメディア環境は、今も何ひとつ変わっていない
国境を越えて企業のブランディング・コミュニケーションを手がけるマーケターが、時流に合わせて日本独自の文化、習慣を紐解きながら、21世紀に日本企業が世界で生き残るための視点やヒントを考察する。
今回取り上げるのは、元代表の麻原彰晃ら13人の死刑が執行されたことでひとつの区切りを迎えたオウム真理教についてだ。私自身はオウム事件を追い続けたジャーナリストでもなければ、宗教学者でもない。しかしながら、広告コミュニケーションに携わる立場から、オウム真理教について分析する使命を感じている。オウムが日本史上最悪のカルト教団になっていった過程において、図らずともメディアを活用した広告・PRの手法が、拡大に寄与してしまった側面があったと考えているからだ。そして、それは今も日本のメディア環境に横たわり続ける問題を考察することでもあると感じている。
11年間で急拡大から破滅まで 暴走したオウムの軌跡
下の【図1】は、オウム真理教の設立から麻原逮捕までを時系列に並べたものだ。教団の軌跡を表面上の活動と犯罪とに分類し、さらに社会の反応として、警察や公安調査庁の取締の動き、メディア露出に分け、参考としての社会全体の情勢を時系列に整理した。事件の詳細や事実認識に関しては、警視庁、公安調査庁の発表データ、各種書籍を参考文献としている。
教団設立から麻原逮捕までは、麻原が29歳から40歳までの出来事であり、20〜30代の若い信徒たちによって、たった11年の間に教団を急拡大させ、破滅に向かっていった事実は驚愕に値する。現在、30代半ばの筆者が、オウム真理教について初めて認識したのは1990年頃。当時、小学校低学年だった私は、「尊師マーチ」を「しょーこーしょーこー」と、友達とふざけて歌い合っていた。同世代の人たちは、私と同じようにヘンテコな“ネタ”としてオウム真理教に触れていたのではないかと思う。
そこから、地下鉄サリン事件を引き起こす凶悪な教団というように、認識の変化はあったが、活動全体、社会とのかかわりを俯瞰してとらえたことは一度もなかった。こうして時系列に事実を並べて整理しただけでも、その勢いの凄まじさを初めて感じ取ることができる。
そして、もっとも驚かされたのは、その勢いがメディアでの露出、社会の反応に呼応するかのように加速していることだ。まるで、広告やPRを実践して急成長を遂げる新進気鋭の企業のようだ。そうした気づきから、企業のコミュニケーション分析のフレームでオウム真理教について考えてみたいと思う。