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片山修「ずだぶくろ経営論」

パナソニック元社長・中村邦夫氏が告白、経営危機から過去最高益への「破壊と創造」

文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

パナソニック元社長・中村邦夫氏が告白、経営危機から過去最高益への「破壊と創造」の画像3本間哲朗氏

本間哲朗

 パナソニックの“祖業”である家電事業は、今なおパナソニックを支える大きな柱である。17年、黒物家電を白物を扱うAP社が併合し、すべて同社の下にまとめられた。13年にAP社副社長となり、15年に同社長となった本間哲朗氏は、パナソニックの家電事業の失敗をどう見ているのか。

片山 本間さんが松下電器産業に入社した1985年は、松下の黒物家電全盛期でした。そこから、テレビや携帯電話、DVDなどの黒物は一気に下降していったわけですが、敗因はどこにあったとお考えですか。

本間 われわれはデジタル化の本質、恐ろしさを見誤ったと思います。日本のメーカーは、メカ(機構)と電子(エレクトロニクス)を極めて絶妙に組み合わせるメカトロニクス分野が得意で、図面にならないようなモノをすり合わせによってつくり込むことにかけては、世界に類を見なかった。VHSはその代表で、フィリップスでさえ自力でつくれなかったんです。それを、パナソニックやビクターさんなどが、欧州まで出かけて技術援助を行った。そのプロセスのなかで、日本の家電メーカーは本質的意味でグローバル企業になったと、個人的には考えています。

 ところが、デジタル革命によって、すり合わせとか精密機械工学的な強みは、だんだんと無効になってしまった。それから、VHSの成功によって、フォーマットを押さえるビジネスに過剰適応してしまった。フォーマットさえ押さえれば大丈夫だと思い込んだところがありました。

片山 パナソニックは、ポストVHSとしてDVDのフォーマットライセンサーになりましたね。

本間 しかし、90年代半ばには光ディスクが登場し、DVDは一気にコモディティ化しました。テレビも同様です。ブラウン管テレビはアナログ技術の塊であり、デバイスの王様だった。しかし、95年に液晶テレビが登場するや、瞬く間にデジタルに置き換わりました。

片山 00年代半ばには、国内大手各社はブラウン管テレビの国内生産を中止せざるを得なくなりました。パナソニックは、液晶テレビではなくプラズマテレビを推進するという致命的な失敗も犯しています。

本間 プラズマの件は話しにくいんですが、プラズマのパネルをつくるプロセスは、焼成ですからアナログで、デジタル化できない。汎用化しないのでコストが下がらなかったことも敗因でした。いい技術ではあるんですが、プラズマ工場は展開性が低く、他に使いようがないんです。しかも、パネルのサイズを大きくするためにも、大きな投資が必要になる。液晶は、たくさんの人が集まった結果、技術の進化のサイクルも速かったこともあったでしょう。

片山 今後、パナソニックの家電事業は何を目指していくのでしょうか。

本間 家電は、いつの時代も人々に“暮らしのあこがれ”を届けるものでなければいけないと考えています。家電事業を通じて、これからの“暮らしのあこがれ”をつくり出し、世界の人々に届けていく。それが、私たちの未来に向けた仕事です。

 個別に機能を提供する家電にとどまらず、個々の家電がネットワークにつながって連携し、それぞれの生活シーン、空間に合わせた新たな体験を提供していきます。新しい体験を、家という空間をこえて、コミュニティ、ソサエティとも連携し、より進化していきます。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家

愛知県名古屋市生まれ。2001年~2011年までの10年間、学習院女子大学客員教授を務める。企業経営論の日本の第一人者。主要月刊誌『中央公論』『文藝春秋』『Voice』『潮』などのほか、『週刊エコノミスト』『SAPIO』『THE21』など多数の雑誌に論文を執筆。経済、経営、政治など幅広いテーマを手掛ける。『ソニーの法則』(小学館文庫)20万部、『トヨタの方式』(同)は8万部のベストセラー。著書は60冊を超える。中国語、韓国語への翻訳書多数。

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