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パナソニック、創業家を事実上排除…「松下家の会社」との決別

文=編集部
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松下家の影響力が消えたパナソニック

 松下電器の新任取締役は、真っ先に松下家に挨拶に行くことが長い間の慣例だった。上座に正治氏をはじめとする松下家の人々が居並び、取締役は「おかげさまで(役員に)就任させていただきました」とお礼を述べ、祝いの杯を受けたのだ。取締役を退任した際にも挨拶に行かなければならなかったという。

 08年、松下電器は社名をパナソニックへと変更。社名から松下の名前が消えた。12年に正治氏は死去。正幸氏は17年に代表権を返上し、「影響力はほぼなくなっていた」(パナソニックの現役役員)が、「パナソニック(松下電器)は松下家の会社」だった時代が長かったのは事実。

 そんな正幸氏にも功績がひとつある。彼が洗濯機事業部長になった折、「御曹司に恥をかかせられない」ということで「愛妻号」という、とても頑丈な製品を世に送り出した。「愛妻号」は、いまだに白物家電の傑作といわれている。

 正幸氏の長男・幸義氏は11年春、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)卒業後、パナソニックに入社している。しかし、今や松下家の影響力はゼロだ。再び、松下家がパナソニックに君臨することはないとの見方が大勢を占めている。

 去就が注目されていた津賀一宏社長は続投することが決定し、在任期間は8年目に突入。三代目社長の山下氏(在任期間9年)以来の長さとなるが、「2020年の東京オリンピック・パラリンピックまではやるつもりだ」(津賀氏の周辺)との声が上がっており、21年3月期に交代の線が濃厚だ。一方で津賀氏の続投は、“ポスト津賀”が育っていないことを露呈した。

 パナソニックは津賀氏のもと「プラズマディスプレイ」などの赤字事業から撤退し、自動車関連部門などを「成長の柱」と位置付けて集中投資してきた。だが、半導体などの苦戦が続き、業績は足踏み状態。19年3期の連結営業利益は前期比1%増の3850億円と、従来予想から400億円下方修正した。4月に始まる3カ年中期経営計画を策定中で、事業の根本的な見直しに踏み込む。

 パナソニックは変わった。25年の大阪・関西万博ではパナソニックはパビリオンの建設を見送り、自動運転技術などを取り入れた次世代型モビリティを会場で走らせる計画だ。「一過性のものではなく、次世代技術の実証・実験の場とする。レガシー(遺産)として使えることが重要」(津賀氏)としている。ちなみに、松下電器は1970年の大阪万博では「松下館」をつくり、人気を集めた。
(文=編集部)

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