
マニラはフィリピンの首都であり、多くの人がその名を耳にしたことがあるだろう。首都ということはもっとも栄えていると思われるかもしれないが、それは昔のことであり、今やオールドタウンである。
マニラに代わり、1980年代から開発が本格化したマカティ、さらに近年ではBGC(ボニファシオ・グローバルシティ)に商業の中心的機能が移行しつつある。BGCは整理された区画に高層ビルが立ち並び、緑豊かな広大な公園など、まるでシンガポールのような街並みである。
また、パサイという街も近年、コンドミニアムを中心に急速に開発が進んでいるが、その要因は近くに大型カジノがあり、中国人に人気があるという点にある。
先日、BGCの高級なショッピングモールを訪問し、エレベーターに乗ると、日本ではもはや姿を消してしまったであろうエレベーターガールを見かけて驚いたが、さらに驚愕したのは彼女が椅子に座って業務を行っていたことだった。
日本では、立っているのは当然のこと、客が乗ってくるたびに深々とお辞儀をしていた記憶があったので、見事に対照的な光景であった。確かに、客を希望する階に案内するというサービスの基本品質は、“立つ・座る”に関係なく維持される。実際、座ったほうが労働者にとっては快適だろう。
仮に日本でこのようなエレベーターガールがいたら、日本人はどのように思うのだろうか。2013年の東京オリンピック招致に向けたプレゼンテーションにおいて、日本の長所として強調されて以降、しばしば耳にする“おもてなし”に反する行為として、批判の的になってしまうのか。もしくは、業務さえしっかりこなしていれば、合理的でよいと判断するのだろうか。たとえば、年齢に比例して、そうした態度は良くないといった声が強まりそうだが、いかがだろう。
“おもてなし”の真価?
そもそも“おもてなし”とは、具体的に何を示すのかすら難しい問題である。広辞苑では、「もてなし:とりなし、たしなみ、態度、取扱い、あしらい、待遇、馳走」などと説明されている。確かに、雰囲気は伝わるものの、どことなくはっきりしない部分が残る印象である。
多くの企業が近年、しきりに“おもてなし”を強調する背景には、人口減少により競争が激化する国内市場において、他社との差別化を目的としている部分もあるだろう。
しかしながら、逆に“おもてなし”を簡素化する動きも顕著になってきているようだ。たとえば、日本を代表する高級旅館の加賀屋では、従来、顧客が到着して部屋に入ったあとに、客室係が茶菓子、抹茶、煎茶、浴衣などを部屋に持っていく回数は8回にも及んでいたが、2017年からは3~4回程度に削減している。それでも多いとの意見もあるだろうが、半減したわけだ。