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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

クラシックオーケストラ、人数が多いほど“走る”?その意外なメカニズムが判明

文=篠崎靖男/指揮者
クラシックオーケストラ、人数が多いほど走る?その意外なメカニズムが判明の画像1
「Getty Images」より

「少し走っているので、気をつけてください」と言われても、なんのことかわからない方が多いのではないでしょうか。「足元に気をつけたほうがいいですよ」という注意喚起にも思えますが、不自然な物言いです。待ち合わせ時間に遅れて知らず知らずのうちに早足になることはあっても、無意識に走りだして人に注意されることなどめったにないと思います。

 しかし、音楽をやったことがある方、特にオーケストラ吹奏楽のように大人数で演奏した経験がある方は全員、意味がわかるのです。

 音楽の現場で「少し走る」という言葉の意味は、急ぎ気味になって、少しずつテンポが速くなっていくことを指します。テンポを維持することを厳しく訓練されているプロよりも、アマチュア・オーケストラの悩みの種です。知らず知らずのうちにどんどん速くなって、難しい音符が出てきて初めて、「こんな速いテンポでは演奏できない」と気付くことも多いのです。

 音楽を演奏する際に、意図していないにもかかわらず自然にテンポが速くなってしまう現象、つまり走ってしまうのは、数人よりもオーケストラのような大人数の時に顕著になることも特徴です。その原因を東京大学の研究チームが突き止めたと発表し、日本経済新聞に取り上げられました。

 これまでは、テンポが速くなる原因は演奏者の緊張や気持ちの高揚のように、生理・心理的原因となっていると、なんとなく考えられていましたが、実は人間が持つタイミング調整のメカニズムが一因であるという研究発表でした。実験方法は次のような流れです。
(1)被験者1人ずつ、メトロノームと一緒に指タップを叩かせる。
(2)途中でメトロノームだけを消し、被験者にはそのまま叩き続けさせる。

 その結果、指タップが速くなる人と、遅くなっていく人がいました。しかし、不思議なことに被験者が2人で一緒に指タップを始めると、ほとんどの場合、速くなってしまうというのです。

 その理由は、2人で一緒に指タップをしているうちに、1人が少しだけタイミングを速く叩いてしまった場合、無意識に速いほうに合わせて修正するメカニズムがあるからだそうです。遅れて叩いた相手に合わせることはなく、速くなったほうに合わせるため、続けていくうちにテンポがどんどん速くなっていくと考えられています

 大人数で盛り上がった時に三三七拍子などの手拍子を打つと、速くなっていった経験をした方も多いでしょう。これも似たようなメカニズムだと思います。人数が多ければ多いほど、うっかりと速く叩いてしまう人が多くなります。

クラシックオーケストラのテンポ

 ただ、大人数のオーケストラのテンポが無意識に速くなってしまうと、演奏上、困った状況に陥ってしまいます。そこで指揮者が必要になってきます。ステージ上で1人、冷静にテンポを守ることが指揮者の大きな役割なのです。

 しかし、大成功のイベントの締めで叩く三三七拍子がどんどん速くなって盛り上がっているにもかかわらず、それを抑えつけられたら興ざめしてしまうのと同じで、オーケストラ・コンサート中の観客の体内にも調整メカニズムが働いているので、盛り上がっているにもかかわらずテンポがまったく変わらないと、「ぐずぐずした演奏だなあ」と感じてしまいます。その塩梅が指揮者の腕のみせどころです。特に曲の最後の部分などは、作曲家が意図的に少しずつ速くなるように指示を楽譜に書き込んでいることもよくあります。その結果、ステージも観客席も大盛り上がりとなり、演奏後に“ブラボー”が乱れ飛ぶことになります。

 ドラムやベースセクションよって一定のテンポを決められているポップ音楽とは違って、クラシックはテンポを自由に変えることができる音楽です。そもそも、テンポ自体を数字で書かなかった作曲家がほとんどで、「遅く」「速く」「歩くように」など抽象的な言葉の指示によって、演奏家にテンポ決定が委ねられています。

 20世紀後半にもなると、東京大学での実験にも使用されたメトロノームのテンポ数字を書き込むのが当たり前になりましたが、メトロノームが発明されたのはベートーヴェンが活躍していた19世紀に入ってからなので、バッハやモーツァルトなどはメトロノームすら知らなかったのです。その後の多くの作曲家も、まだまだ抽象的な言葉を書いて、演奏家の想像にお任せするような状況が続きました。

 しかし、かえってそのほうが良いこともあります。メトロノームの数字が書かれていると、それが気になってしまって、クラシック音楽ならではのテンポ変化の妨げになることもあります。皆様も、三三七拍子で盛り上げっているときに、横でメトロノームが同じテンポを鳴らしていたら、きっと興ざめするでしょう。

 そんななか、困らされるのはブラームスです。『ハンガリー舞曲第5番』などで有名なドイツを代表する作曲家ですが、とにかく性格が優柔不断です。生涯で何度も結婚できるチャンスがあったにもかかわらず、結局は言い出せず、相手はその気なのに、むしろ陰気に去っていくような人物で、テンポの指示も優柔不断です。

 たとえば、『交響曲第2番』の第1楽章は「速く、でもそれほどでなく」、第2楽章は「遅く、でもそれほどでなく」です。どうしたらいいのか、混乱してしまいます。そのあとの第3楽章などは「アレグレット、アンダンティーノくらいで」とあり、その直後に「すごく速く、でもそれほどでもなく」と書かれていて、あきれてしまいます。

 もしブラームスが結婚できたとしても、奥さんは大変だったでしょう。スープの温度をたずねても、「熱いのがいいなあ。でもあまり熱すぎないで」とか、「少し熱めで、でもぬるめにして」などと言われるわけですから。

 そんなブラームスですが、曲のクライマックスでは、彼の生まれ故郷であるドイツ魂が存分に発揮され、猪突猛進の音楽となり、最後にはオーケストラも観客もあっと言わせるのです。優柔不断に見せかけてやる時はやる。普段はぶつぶつ言いながら、それでも気が付けば三冠王を取っていた故野村克也さんタイプ。それがブラームスです。

 ちなみに、モーツァルトはオペラ、交響曲、器楽、歌曲と、なんでもマルチに最高のヒットを生み出すイチロータイプ。ベートーヴェンはストイックに自分を追い詰めながらも、毎回、感動的な大ホームランを打つ王貞治といえるでしょうか。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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