大河ドラマ『青天を衝け』にNHK上層部が忖度?渋沢栄一の波乱万丈な人生と第一国立銀行の画像1
明治から大正にかけて活躍した実業家、渋沢栄一。「日本資本主義の父」とも称され、その生涯で設立や経営にかかわった会社は500以上にも上るとも。(画像はWikipediaより)

農民→武士→官僚→実業家…渋沢栄一の波乱万丈な92年の人生

 2月14日から放送開始されるNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一(しぶさわ・えいいち/演:吉沢亮)。2024年度から新1万円札に描かれることでも知られる人物である。

 その生涯をざっくりまとめると以下のようになる。

 栄一は天保11(1840)年2月に武蔵国榛沢郡血洗島村(むさしのくに・はんざわぐん・ちあらいじまむら/埼玉県深谷市血洗島)の農家に生まれた。

 尊皇攘夷・倒幕運動に深入りするが、元治元(1864)年25歳(数え年/以下すべて同)の時に、ひょんなことから一橋徳川家に仕えて武士になった。一橋家の当主・徳川慶喜(よしのぶ)が征夷大将軍に就任すると、慶喜に付きしたがって幕臣となり、明治維新後に徳川宗家が静岡藩に転封となると、静岡藩士となって藩財政の好転に寄与した。

 その実力が認められ、明治2(1869)年30歳の時に明治新政府に採用され、大蔵官僚となり、銀行設立の法律制定などにかかわった。ところが、明治6(1873)年に上司の井上馨が政府内部の意見対立から下野すると、栄一も同じく34歳で大蔵省を退官。日本初の銀行・第一国立銀行を設立し、事実上の頭取となった(行名に「国立」とついているが、民間資本である)。以降、百数十の企業や経済団体など、現在に繋がる日本の経済インフラの設立にかかわり、昭和6(1931)年に92歳でこの世を去った。

 農民として生まれ、武士(一橋徳川家家臣→幕臣→静岡藩士)となり、さらに大蔵省(現・財務省)の官僚になるが退官。銀行など企業を設立する実業家になった。身分変化の激しい、めまぐるしい人生である。

 ただ、今回の大河ドラマが栄一の長い人生の最後までを描き切るかといえば、それはちょっと疑問である。渋沢栄一が評価されているのは、後半生の実業家・財界人としての活躍に負うところが大きいが、ドラマとして面白いのは波乱な前半生だ。これに対して、企業を次々と設立していく後半生がドラマとして成り立つかというと疑問符が付く(この予想が裏切られることを切に祈ってやまないが)。

 ただし、第一国立銀行の設立までは絶対やるだろう。現在のNHK会長はみずほホールディングスの元会長なのだが、みずほホールディングスは第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の合併行で、第一勧業銀行の前身が第一国立銀行なのだ(会長自身は富士銀行出身)。「銀行設立はやりません」ってプロデューサーが報告したら、上層部が「それはマズいだろう」と忖度するに違いない。

渋沢栄一、従姉妹らに感化され倒幕の志士となり、高崎城の乗っ取りを企てる

 さて、渋沢栄一の生涯を簡単に紹介してきたのだが、あまりに大雑把な説明だったので、もう少し詳しく語っていこう。

 栄一が生まれた血洗島には、渋沢姓の家が17軒あったという。だから家の位置によって「東の家(ひがしんち)」「西の家」「中の家」「前の家」「新屋敷」などと呼んで区別した。

 栄一の実家「中の家」の家運が傾いたので、長女のゑい(栄/演:和久井映見)に、「東の家」の3代目宗助(演:平泉成)の弟・渋沢市郎右衛門(演:小林薫)が婿養子に迎えられる。市郎右衛門は働き者で、副業として藍を栽培して藍玉づくりに精を出し、財を成した。

 夫婦は10人の子をもうけたが、ほとんどが早世し、成長したのは栄一と姉のなか(演:村川絵梨)、妹のてい(貞/演:藤野涼子)だけだったという。

 栄一は従兄弟たちから多大な影響を受けた。

 従兄弟の尾高新五郎惇忠(あつただ、じゅんちゅう/演:田辺誠一)が学才に秀でていたので、栄一は隣村の惇忠のもとに通って学業を修めた。

 惇忠の弟・尾高長七郎弘忠(ひろただ/演:満島真之介)は、剣道で身を立てるべく江戸に出ていたが、たまに友人をともなって実家に戻り、兄やその門弟らと開国論や尊王攘夷論を闘わせた。栄一もすっかり感化され、長七郎を頼って江戸に出たいと父に懇願した。

 父・市郎右衛門は、栄一が政治論や剣術に熱中して家業の農事を疎かにすることを憂いた。所帯を持てば落ち着いてくれるだろうという期待を込め、尾高兄弟の妹・千代(演:橋本愛)を栄一の嫁に迎えた。

 江戸で老中・安藤信行(のぶゆき)が志士に襲撃される「坂下門外の変」が起きた。

 尾高長七郎もその計画に加担しており、事前に惇忠、栄一、従兄弟の渋沢喜作(演:高良健吾)らに打ち明け、参加の可否を相談。結局、長七郎は参加を断念し、京都に出奔した。

 栄一や惇忠らは倒幕運動に深入りして高崎城の乗っ取りを企て、京都の長七郎に計画実行への合流するように連絡した。ところが、戻ってきた長七郎は計画の無謀さを説き、計画の中止を訴えた。

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