【新型コロナ対策】菅首相はすぐに国会を開け! 今のままでは責任放棄だー江川紹子の提言
先に結論を述べる。
菅義偉首相は、ただちに臨時国会の召集を決定し、新型コロナウイルスの感染拡大を収束させるために必要な法整備について、早急に論議を始めるべきだ。
見通し甘く、対応が後手後手の菅政権
その理由は2つ。第1に、今の感染状況は「お願い」「要請」では対応しきれなくなっているうえ、そうした曖昧な措置で国民の私権を事実上制限するのはもはや限界だ。感染症対策の専門家からも法的枠組みを求める声が出ている。第2に、野党が臨時国会を求めており、政府がそれに応じるのは憲法上の義務だ。
コロナ禍第5波は、これまでとは比べものにならない勢いで拡大している。ウイルスが感染力の強い変異株に置きかわったうえ、オリンピックや夏休みで人々の緊張感が緩んだ。そしてメディアも、「コロナ疲れ」「自粛疲れ」といった言葉で、自粛に倦んだ人々が繁華街に繰り出す様子を伝え、「みんな出かけている」とのメッセージを市民に届けている。緊急事態宣言を出しても、これまでのようには人出が減らない。
しかも、医療供給体制はなかなか拡大しない。そのため、感染して症状がかなり進んでも、患者は以前のように入院ができない。自宅療養を強いられ、適切な治療を受けられないまま症状が悪化し、そのまま死亡するケースも出ている。さらに家庭内感染の機会も増え、感染者を増やすことにもなっている。
ワクチンの効果もあって、高齢者層の重症化は以前より抑えられているが、いまだワクチンが行き渡っていない50代や40代の現役世代で重症化する人が増加。東京都ではこの年齢層が重症者の6割を占めている。
高齢者の感染が減ったことや治療法の進化で、死者の数は大きく増えてはいないが、30代や40代の死亡も報じられている。それに、これ以上患者が増えれば、今後は後遺症に苦しむ人も激増するだろう。コロナは「死亡リスクが高い人だけを用心すればいい」病気とは違う。
菅首相は強力にワクチン接種を推し進めたが、残念ながら第5波には間に合わなかった。この事態は予測されていたのに、見通しが甘く、ワクチン以外の対策も不十分だった。
今なお首相は、自らが音頭をとったワクチン接種と軽症者の重症化を防ぐ治療「抗体カクテル療法」に関しては熱を込めて語るものの、人流の削減や医療体制の拡充などについては、記者会見での口ぶりも、あからさまな棒読みである。
一方、政府の基本的対処方針分科会(尾身茂会長)は、東京都の人流を緊急事態宣言直前の7月前半から5割減にするなど、2週間の期間限定で人出を削減する対策が必要だと提言している。
提言を実現するために、尾身会長は、先月末の首相会見やその後の国会閉会中審査、あるいは報道陣の取材に対し、繰り返し法的枠組みの検討を求めてきた。
これまでの対策では、飲食店などの事業者に制約をかけ、一般の人々の行動制限は法的な根拠のない“お願いベース”で行ってきた。しかし、今のように感染が拡大する状況では、これでは不十分で、新たな法的仕組みについての論議が必要だという意見が、分科会の専門家たちから出ている。
「個人に感染リスクの高い行動を避けてもらうことを可能にするような新たな法的な仕組みの構築、あるいは現行法の活用ということも必要。ただ、これには国民の間でさまざまな議論があると思うので、法的な仕組み作りの検討だけは早急に議論していただきたい」(8月17日首相記者会見での尾身氏発言)
コロナ対策の「スピード感を鈍らせている」のは、現行憲法ではなく、政府・与党である
やはり“お願いベース”で行ってきた、医療機関や医療従事者に対するコロナ対応への協力要請も同じだ。
「単に協力をお願いするだけではこの事態を乗り越えられないことを想定し、法的な仕組みの構築や現行の法律のしっかりした運用について、早急に検討してほしい、という強い意見が出ている」(同日開かれた分科会の後の報道陣による囲み取材での尾身氏発言)
東京都墨田区や長野県松本市など、回復した重症者を地域の中小病院が引き受けたり、重症度や病気によって患者を振り分けるなど、地域の病院の連携体制が機能しているところもある一方、連携が十分でなかったり、補助金の対象となるコロナ病床として届けているのに適切に患者を受け入れていない医療機関もある、と報じられている。
日本は、医療機関の病床数は多く、欧米より患者数が少ないのに、すぐに医療提供体制が逼迫する問題は、昨年来、「波」が来るたびに繰り返し指摘されてきた。少しずつコロナ対応病床は増えてきたが、抜本的な対策にはなっておらず、現在の第5波には対応できていない。
その結果、本来はすぐに入院が必要な患者が在宅療養を余儀なくされ、救急車の受け入れ先が決まらないまま数時間立ち往生する事例が相次いでいる。
病院間の連携やコロナ患者受け入れを促進するためには、これまでのような“お願いベース”だけでいいのか、なんらかの法律的な仕組みが必要なのか、早く議論してもらいたい。尾身会長が以前から繰り返し求めてきたのに進まない、検査態勢の拡充も同様である。
個人の行動制約などについて、菅首相は「ロックダウンは日本においては馴染まない」「諸外国のロックダウンは感染対策の決め手とはならない。各国ともワクチン接種を進めることで日常を取り戻してきている」などと述べて否定し続けている。
しかし、欧米よりワクチン接種の開始時期が遅かった日本は、高齢者の接種は進んだが、若い世代はまだまだだ。たとえば人口10万人当たりの感染者数が300人を超え、全国で最も多い沖縄県では、30歳代から50歳代で2回の接種を終えた人は、いずれの年代も10%台で、20歳代はわずか6.79%(8月16日現在)である。
こういう状況では、感染者を減らすために人出の削減を今より強力に進めるなど、あらゆる方法を動員する必要があろう。
昨年春の第一波で、政府が一人ひとりの意識に訴え、あとは相互監視や同調圧力など“空気”に頼るやり方でうまくいったように見えたのは、初めての体験であり、未知のウイルスに対する恐怖が強烈だったからだ。もはや、人々がコロナ禍にも緊急事態にも慣れ、自粛に飽きた状況では、こうした“日本流”は機能しなくなっている。
挙げ句に政府は、なんら法的枠組みを作らないまま、飲食店への規制を行おうと試みた。休業要請に応じない飲食店の情報を金融機関に提供して圧力をかけさせようとしたり、飲食店との取り引きを停止するよう国税庁が酒の卸・小売り業者に対して働きかけたりしたことは、今なお記憶に新しい。このように法的な裏付けのない、あるいは法に抵触しかねない手段が出てきたのは、ほかに効果的な対策が思いつかないからだろう。
憲法が認める営業の自由や移動の自由について、いつまでも“空気”や脱法的な要請で制約を加えようというのは、法治国家として歪んでいるといわざるをえない。個人や事業者の自由も、公衆衛生という「公共の福祉」との兼ね合いでは制約できる。ただし、制約するのであれば、規制の条件や段取り、罰則、異議申立の手続きや補償などを法律で厳格に定めるのが、法治国家のあるべき姿だろう。
菅首相は6月、超党派の国会議員らによる改憲推進集会にビデオメッセージを寄せ、「緊急時に国民の命と安全を守るため、国家や国民の役割を憲法に位置付けるのは大切な課題だ」と憲法に緊急事態条項を加える必要性を強調した。
自民党の改憲派からも、同様の意見が出ている。たとえば下村博文政調会長は、「憲法に緊急事態条項がないことが(コロナ対応の)スピード感を鈍らせている」と述べた。
しかし現実は、現行憲法でも法律を制定すれば行えるのに、政府・与党がそのための国会を開かないために、それができずにいる。対策の「スピード感を鈍らせている」のは、現行憲法ではなく、政府・与党にほかならない。
コロナ対策としての個人の行動規制は、欧米の自由主義国家でも行われている。日本でも一定程度それを導入するかどうか、導入するとしたらどのように行うかは、国会でぜひ議論すべきだ。
野党の要求から1カ月、これ以上国会を閉じ続けるのは立法府の責任放棄
規制といっても、さまざまなやり方や程度が考えられる。
今年1月から最近までイギリスで行われていたロックダウンは、かなり厳しいものだった。医療機関への通院や食料品・日用品の買い物、1日1度の近場での運動、テレワークが不可能な場合の通勤などの例外を除いて、外出禁止。3人以上の集まりも禁止される。これらの規則を破ると最大90万円の罰金。30人以上のパーティーを開けば、罰金は約140万円に上る。公園で大規模な雪合戦を開いた20代の男性2人が、それぞれ140万円の罰金を受けたニュースは日本でも報じられた。
しかし、日本の状況に合わせたもっと限定的な規制も考えられる。尾身会長も「街から人がまったくいなくなるような状況を作る必要は、今のところない」と述べている。ならば、専門家の助言を受けながら、できるだけ限定的で効果的な規制を考えたらどうか。限定的な規制でも、それが実施されて報じられればアナウンス効果も生じ、一定の効果が期待できるのではないか。
ウイルスは変異している。ワクチンが効きにくい、現在流行しているデルタ株以上に感染が広がりやすい変異株が、日本に持ち込まれる可能性も否定できない。そういう時への備えも兼ねて、個人や医療機関への規制策を導入するかどうか、導入するとすればできるだけ限定的で効果的な策は何かを、早急に議論する必要があるだろう。これ以上、後手後手の対策を続けないでもらいたい。
しかも、立憲、共産、国民、社民の4党の国会議員が、7月16日、憲法53条に基づき臨時国会の召集を求める要求書を大島理森衆院議長に提出している。
同条は「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と義務づけている。できるだけ速やかに国会を開くのが、政府の責務だ。要求があってから国会開会までの期間は、憲法には明記されていないが、合理的で常識的な期間内に開くのが当然だろう。しかも今は、スピーディな対応が求められる危機にある。
ところが政府・与党が要求を拒否。6月16日に通常国会が閉会して以来、国会は長い長い夏休みに入っている。時折、委員会の閉会中審査は行われているが、各院1日ずつでは、抜本的な対策などを議論することはできないし、もちろん法案の議決もできない。
ちなみに自民党が作成した「憲法改正草案」では、「要求があった日から20日以内に臨時国会が招集されなければならない」と書かれている。自民党は、自分たちが「このように憲法を変えたい」と書いたことも実現できないのだろうか。
すでに野党の要求があって1カ月を超えている。これ以上国会を閉じ続けることは、立法府の責任放棄といわざるをえない。
結論を繰り返す。
菅首相は、ただちに臨時国会の召集を決定し、新型コロナウイルスの感染拡大を収束させるために必要な法整備についての論議を始めてもらいたい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)